日光・霧降高原の奥深い谷に架かる六方沢橋!
1976年(昭和51)に架設された逆ローゼ橋で、長さは320m、谷底までの高さは約135mもある。
橋の袂から見下ろすと丹田から口蓋に向けて魂が『ヒュン!!!』と抜け出すような感覚に陥る高さだ。
高所恐怖症の方が谷底を覗けば卒倒するのではないだろうか?
六方沢と大鳥圭介
谷底は六方沢と呼ばれている。
この場所に歴史的な話は期待していなかったが、対岸に戊辰戦争に纏わる案内板があった。
せっかくなので引用しよう。
慶応四年戊辰の年(西暦一八六八年)の春、日光山に拠った旧幕府軍大鳥圭介ら二千名は、官軍板垣退助の率いる土佐藩隊の攻撃を受けて四月二十九日夕刻日光を撤退この地、六方沢の谷底に仮泊、翌閏四月一日会津へ向かった。
このあたりは、県花八汐花が咲きほこるところで大鳥圭介がその景を次のように詠じた名所である。
六方越 大鳥圭介作
深山日暮宿無家(深山日暮れて宿るに家無し)
枕石三軍臥白砂(石に枕し三軍白砂に臥す)
暁鳥一声天正霽(暁鳥一声天正にはる)
千渓雪白野州花(千渓雪は白し野州花)
大鳥圭介はこの後、転戦しつつ榎本武揚らと合流し函館・五稜郭にて明治政府に降伏した。
投獄されたものの特赦によって解放され明治政府に出仕している。
かなり優秀な人物だったようで様々な公務(技術・教育・外交など)を行い、晩年にはその功績が認められ男爵を授けられている。
六方沢橋に幽霊が出るらしいけど…?
高い橋、そして返しの付いた柵。
到着した瞬間に『あぁ…。』と嘆息した。
そして近くの展望台には『命の電話』の看板が…。
1988年(昭和63)の新聞を確認すると『1976年(昭和51)9月に開通してから計12名の自殺者が出た。』とある。
詳細は載せないが、確認出来ただけでかなりの人数が落ちている。
10名を超える年もあったようだ。(現在どうかは不明)
場所が場所だけに常駐の職員を置くことは困難であるし、まめなパトロールの実施も厳しいと云う。
終わりに
所謂、自殺の名所である。『自殺の名所=心霊スポット』の式は当然成り立つ。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
私は自殺という行為に対して肯定も否定もしないようにしている。目の前に自殺しようとしている人間がいれば全力で止めるだろうが、そうするより仕方なかったと思う気持ちも理解出来なくはない。
自殺に関するスポットに訪れると憂いと安らぎが混ざったような複雑な感情が心を支配する。
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