日光の奇勝・憾満ヶ淵。
淵と並行する歩道に並び地蔵と呼ばれる70体程の地蔵尊が安置されている。
並び地蔵には化け地蔵という別称がある。
なんだか小気味悪い名前だが、どんな由来があるのだろうか?
憾満ヶ淵へのアクセス
少々入り組んだ場所を通るので、カーナビやgoogleマップのナビの使用をおすすめする。
憾満ヶ淵の手前に駐車場があるので直近まで行ける。
日光観光の一環で赴くのなら日光東照宮近くの市営駐車場に停めて徒歩で向かったほうがよいかもしれない。
憾満ヶ淵の歴史
憾満ヶ淵の景勝は男体山の噴火によって創られた。上流の華厳の滝や中禅寺湖も同様である。
『憾満(かんまん)』の由来は、不動明王の真言・火界咒の最後の句『かんまん』であり、名付け親はこの地と縁の深い晃海大僧正。かつては憾満ヶ淵の巨石の上に高さ2mの不動明王がどっしりと構えていたそうだ。
古い文献などでは含満ヶ淵とも書き『がんまん』とも呼ばれるが、名の由来を考えると『かんまん』が正しい。
ここには1654年(承応3)に創建された慈雲寺や護摩が行われた霊庇閣などがあったが、1902年(明治35)9月の足尾台風の大洪水によって流出してしまった。
憾満ヶ淵では毎年7月14日に輪王寺により慈雲寺法楽が行われている。
化け地蔵(並び地蔵)について
憾満ヶ淵に沿って並ぶ凡そ70体の地蔵尊。これを並び地蔵という。
地蔵を数える度に数が異なっているという奇聞から化け地蔵とも呼ばれている。
この地蔵尊は徳川家康、秀忠、家光の三将軍に仕えた天海大僧正の弟子が寄進したものだと伝わる。
慈眼大師天海の弟子約100名が『過古万霊、自己菩提』のために寄進したもので、列座の奥には親地蔵が置かれていました。
現地案内板『並び地蔵(化け地蔵)』より引用
当初は100体程あったようだけれども、慈雲寺と霊庇閣同様に足尾台風の洪水で流されてしまった。
引用文にある親地蔵も洪水で流され川底から御首だけ発見された。
この御首は憾満ヶ淵の北東にある浄光寺で参詣出来る。
終わりに
憾満ヶ淵に心霊スポットの噂があるのは、並び地蔵に化け地蔵などと言う二つ名があるからだろう。
まぁ、現地の案内板がそう紹介しているので、公認の心霊スポットと言ってもいいのかもね……。
まぁ、実際に訪問すると心霊スポットというよりは神聖な場所に感じたけど。ただ、夜は真っ暗で怖いかも。
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