水没世帯多数?!北山ダムが心霊スポットと言われる理由について調べたら…。

北山ダム

1957年(昭和32)3月30日、嘉瀬川の最上流域に北山ダムは築造された。

『きたやま』ではなく『ほくざん』と読む。

『降れば大水、照れば干ばつ』

佐賀平野で暮らす人々は昔から洪水と干ばつの被害を耐え忍んできた。

佐賀県は山地よりも平野の割合が高いため、大雨が降れば山間部の少ない森林が保水しきれず洪水が発生し、日照りが続けば乏しい保水力が故に干ばつが起こる。

水が足りないのにも関わらず、平野部には広大な田畑が展開されているので、農家たちは水を巡って争うこともしばしばだった。

大雨が降ったら降ったで田畑は水没し踏んだり蹴ったりの状態が続いていた。

1939年(昭和14)に西日本を襲った大干ばつの被害を受け、ダムの建設が計画されたけれども、第二次世界大戦の開戦により計画は頓挫してしまう。

戦後まもなくして北山ダムの建設計画が話し合われ、1950年(昭和25)12月に着工、約7年後に竣工され、現在に至る。これによって佐賀平野の苦しい戦いは終結した。

 

北山ダムの場所

北山ダム

ダム湖は北山湖と呼ばれ佐賀や福岡の人々の憩いの場となっている。

何故か北山湖は『きたやま』と読む。

北山湖はかなり広いので、どこを目的地にするかでアクセス方法が少し異なる。

何れにせよ国道263号を経由して向かうのが分かり易いだろう。

曰く付きの北山ダム?!

北山ダム

猟奇的で残酷な描写があるため、苦手な方はここでブラウザバックどうぞ!

どのような霊現象が噂されているのかは(あまり興味がないので)割愛する。

気になる方は他の心霊スポットのサイトを調べて欲しい。

私は『とある場所』を曰く付きの場所と呼ぶには相応の理由があって然るべきだと考えている。

霊の存在は否定も肯定もしないが、根拠の無い霊ありきの心霊スポットは好きじゃない。

存否が分からない現象をあれこれ言うより『こういう根拠(歴史)があるから、そういう扱いを受けているんだな。』と知ることの方が、有意義だと感じるからだ。

さて、本題に移ろう。

 

北山ダムと水没世帯

北山ダム

心霊スポットと噂されるダムで往々にしてあること。それは水没世帯の存在。

人口の少ない山間部と言えども、河川沿いにはポツポツと住宅や田畑があるもので、ダムを建設するとなると湖底に沈んでしまう集落が出てくる。

大きな集落だと寺社やお墓といった霊的な場所も沈められており、そういうところから幽霊の噂が出て来る可能性が考えられる。

もちろん、寺社は遷座されるし、お墓も丁重に改葬するだろうから(もし霊がいたとしても)祟られる様なことは無さそうだが、何も知らない人が『寺社やお墓が沈んでる。』を聞いたら不気味に思うのも理解出来なくはない。

 

北山ダム

建立の記

清澄なる湖底にまします祖先の諸尊霊をはじめ一木一草に至るまで生きとし生けるものの魂を茲におごそかに鎮め奉るとともに、ダムの安全と離郷の止むなきに至った同胞及び湖畔に集う人びとへのご加護を心から祈念してこの碑を建立しました。

合掌

昭和六十二年八月

富士町長 三瀬村長 北山ダム観光協会長

なんと!北山ダムの湖底には106戸の家屋が水没している。

始め地元住民が反対したそうだ。

先祖代々が過ごしてきた土地をそう簡単に讓り渡すわけにはいかないから当然の抗議だと言えるだろう。先祖を余り敬わない私ですらきっと反対サイドの意見に納得する。

しかし、事業者側がダムの重要性を熱心に伝えたことにより、やがて住民は妥協しダムの建設を受け入れた。

時代は第二次世界大戦の直後。

国力はまだ弱く、立ち退きする住民の補償は微々たるものだったと云う。反対者の抵抗が弱かったのは『国には絶対逆らってはいけない。』という風潮が残っていたからであろう。

別の話になるが、この公共事業の強制力と低補償の問題を覆したのが、大分県と熊本県に跨る下筌ダムの建設時に起きた『蜂の巣城紛争』である。

大変興味深い話なので是非↑をご覧頂きたい。

 

事故や事件

北山ダム

事件や事故が起きた場所はオカルト界隈にすぐ目を付けられる。

早速、平成年間の新聞を漁って調べた。

・1990年(平成2)9月3日
暴力団員によるリンチ殺人の死体遺棄になっています。暴力団を脱退した男性が団員3名にリンチされ、北山湖の天神橋から突き落とされた殺人事件です。
・1991年(平成3)3月
男性がボートで遊戯中、転落し水死しています。
・1992年(平成4)4月
魚釣りに来た男性が溺れて亡くなりました。
・1993年(平成5)8月8日
『第三十回北山湖祭り』が行われ北山ダムの工事や水難で亡くなった方への鎮魂と工事で立ち退いた人々への感謝の意を込めた神事が行われています。
これで殉職者の存在が明らかになりました。
・1996年(平成8)2月
下流の川上川第五発電所ダムで両手足首が見つかる死体遺棄があり、残りの部位を捜索するために北山湖に潜るという記事です。
ここで遺体や遺留品は発見されなかったので、直接的な関係はありませんが『湖底には家屋106戸、耕地や山林など200haが水没している。』という記述が貴重なので載せました。
・2008年(平成20)5月
『人のようなものが浮かんでいる。』と通報が入り、約1時間後に引き上げられ、病院で死亡が確認されました。遺体は女性で目立った外傷は無く、近くの岸から女性物のバッグや靴が発見されたとあります。
多分、自殺?
・2020年(令和2)5月
釣り人がボートから転落。
病院に搬送されたが、同日に死亡が確認されました。
いちのまる
いちのまる

殉職、殺人、水難、自殺…。心霊スポットの噂が立つ根拠としては十分かな。

平成・令和年間だけでこれだけ見つかったのだから、昭和期も似たような結果になるだろう。

北山ダムに限ったことではなく、ダムそのものが人の死と密接な関係にあるように思える。

 

終わりに

北山ダム

北山湖の『とある場所』に墓群が残されていた。

明治22年(1889)、文化3年(1806)と刻印されている墓石が見受けられた。

ダムの建設前からここにあったのか?それとも建設に伴って移設したのか?

不気味な雰囲気は全くなく、むしろ歴史的価値のある史跡かのように映った。

これは北山ダムの歴史を知らしめるための重要な遺構の一つだろう。

是非、今後も大切に保存していただきたい。

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