唐津市厳木町にある厳木ダム。(これで『きゅうらぎ』と読む)
洪水の防止、用水の確保、発電などを目的とし、昭和50年に着工、昭和62年の3月に竣工された多目的ダムです。
ダム周辺には遊歩道や公園、グランドなどのレジャー施設があり、行楽シーズンになると自然を求める人々が集います。
前置きはこれくらいにして本題!
山奥にあるダムは心霊スポットの餌食になり易い。厳木ダムも例外ではなくそのような噂があるとのこと。
真っ暗闇で静まり返った夜半のダムなんて人間の本能が恐怖を感じさせるわけですが、それだけの理由で曰く付きのレッテルを貼られるのも『なんだかなぁ。』と思いつつ、何か具体的な理由があるのか気になったので、少し調べてみました。
それでは紹介致します。
厳木ダムの場所
厳木多久有料道路の牧瀬ICを下り、信号を直進して暫く進むとダムに到着します。
厳木の由来について
いきなりの脱線失礼します。
厳木の語源がどうしても気になってしまい序でに調べたので、せっかくですからここに残しておきます。
嚴木
是は、きうら木と唱へ來ること、松浦川の西嚴木の内に、古昔楠の大木、開闢以來と云うやうなる、大なる木ありしを、倒したる時、川を越て東に渡り、今の嚴木の村に及ひけるとなり、人の莊嚴なるか如く、嚴くしかりし木なるか故に村名に呼べり、其傍に木挽谷あり、川向に椹の木と云う地名あり。
松浦記集成 第五編 名所舊跡より
これは、きうら木と読まれて来た。松浦川の西厳木の内に、むかし大きな楠があった。
世界の始まりからあるような、大きな木を倒したとき、川を越えて東に渡り、今の厳木の村に及ぶことになった。荘厳な人のように、重々しく立派な木であった故に村名となった。
その傍に木挽(きわき)谷があり、川の向こうに椹(あて)の木という地名がある。
上記のような伝説は残っていますが、正確な語源はわかっていません。
心霊スポットだという根拠は?
厳木ダムが心霊スポットと呼ばれる所以はあるのだろうか?
ダムの心霊スポットでまず調べるべきことは着工以前の様子。曰く付きのダムはそこそこの確率で水没した集落があります。
人々が暮らしていた場所ですから、住宅があり寺や神社、お墓などがダム湖の底に沈んでいる可能性があるのです。
御神体の遷座、先祖の改葬は間違いなく行われているでしょうから、これを霊現象の根拠とするのは如何なものかと感じますが、『湖底に墓が残っている。』と聞けば恐怖を覚える方もいるのかもしれません。
国土地理院の空中写真より引用
厳木町は農業と炭鉱で栄えた土地でした。
しかし石油の台頭で石炭産業が衰退し、米の生産調整、特産品であるミカンの暴落などによって景気の低迷に見舞われるなか、揚水式の発電所と厳木ダムの建設計画が起ったため、自治体としては是非ともこれを成立させねばならなかったのです。
その結果、6世帯の住居が水没することに。
水没世帯の方々は最初こそ賛成出来なかったが、ダム建設側の誠意に感心し移転の承諾をしたといいます。
一つ間違えば(極端な例ではありますが)下筌ダムの蜂の巣城紛争のような大反対を招く可能性もあったのです。
1998年3月の佐賀新聞に『住民らが厳木ダム完成10周年を祝う』という記事があります。
利水地域の四市町の首長、地元住民ら約140名が式典に参加し、初代厳木ダム工事事務所長の帆足さんが『地元の信頼なくしてこのダムはできていない』と振り返ったと記されています。
話を戻しましょう。
確かに水没世帯はあったけれど悪い印象は全く無く『それを心霊スポットと結びつけるのはちょっと無理があるな。』という感じです。
では、事故や事件はどうか?
平成年間の新聞を調べましたが、特にこれといった事故や事件は書かれていませんでした。
1995年12月の佐賀新聞に厳木ダム駐車場で排気ガス自殺を試みた男性が救出されたという記事を発見したくらいです。
他に何かご存知の方がいらっしゃれば教えて下さい。出来ればソース付きで。
あとは何でしょうか?
松浦佐用姫の悲恋物語と厳木に繋がりがあるので『それ関連かな?』と憶測したけれど、ダムと直接的な関係はないので、これは微妙。
終わりに
ダム湖の周囲を走る県道に4本のトンネルがあります。
その何処かでテケテケというオバケに追いかけられるという噂があるそうです。
せめて、女性の泣き声がするとか、石が動き出すなんて霊現象だったら、歴史的な根拠があって面白いのにと思った次第であります。
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