島原半島・雲仙普賢岳の南西部に位置する雲仙温泉。
雲仙は聖なる山で、かつては修験道の山伏らが修行のため山籠もりをしたと伝わる。
奈良時代には僧・行基が温泉山満明寺を開山した。
当時は雲仙ではなく『温泉』と書いて『うんぜん』と呼んでいたそうだ。
江戸時代初期、雲仙は地獄と化した。幕府によるキリシタンの弾圧である。
詳細は後述するが、ここでは見るに堪えない程の拷問や処刑が行われた。
それでは、雲仙の地獄を巡ることにしよう。
清七地獄
キリシタンの清七は棄教を求められるが従わず雲仙で殉教したと伝わる。
清七が処刑されたと同時期にこの地獄が噴出したため『清七地獄』と命名された。
雀地獄
地下から噴き出したガスが水面で弾け『ピチピチ、ピチピチ』と雀の鳴き声のように聞こえるため名付けられた。
お糸地獄
島原城下で裕福に過ごしていたお糸。
お糸は気の迷いから不義密通を働き、挙句に夫を殺害してしまう。
当時の不義密通は大罪であり、お糸は処刑された。
お糸が亡くなった後、沸々と新たな地獄が噴出したと云う。
お糸地獄は『家庭を乱すと地獄に落ちるぞ!』という戒めを込めて命名されたそうだ。
大叫喚地獄
噴出音が低音の叫び声に聞こえる。
地獄の底でもがき苦しむ罪人の慟哭だろうか?
この大叫喚地獄が雲仙地獄の中で最も活発に活動する地獄である。
邪見地獄
邪見は仏教用語で『邪まな考え・不正な心』といった意味がある。
この温泉のお湯を飲むと、夫婦や友達の間で生じた、嫉妬心による不和を解消する、といわれています。ところが実際には強酸性の温泉で、とても飲めるようなものではありません。邪見を捨てる場所ということなのでしょう。
雲仙地獄 案内板より
『邪見を払拭するのはこの湯を飲む程に難しい。』という風にも取れなくもない。
八万地獄
八万地獄とは八万四千の煩悩によってなされた業の果てに落ちる地獄。
もしくは煩悩のために起こる苦しみのことを例えて八万地獄とも云う。
旧八万地獄
かつては激しくガスが噴出していたのだろう。
ここは月面のクレーターに似ていることから月面地獄とも呼ばれている。
キリシタン殉教の碑について
現地の説明板には『寛永4年(1627)からの7年間にこの地で殉教していった者は33名といわれています。』と書かれていた。
身體は熱湯を浴せられ、赤熱の鐵を以て烙印せられ、鋭き竹を以て打たれ、晝は日光下に裸體にて曝され、夜は冷氣寒風に曝され、又蛇の入れる盥に入れられたり。
小兒は恐るべき方法を以て兩親の眼前に於いて殺されしが、其殆ど死なんとするや、醫をして之を復活せしめ、更に殘虐を感ぜしめたり。モンタヌス『日本誌』河内殿歸航後の虐刑より
子供は恐ろしい方法をもって、両親の眼前で殺されたが、その殆どが死にそうになると、治療して復活させ、更に残虐さを見せつけた。
著者のアルノルドゥス・モンタヌスはオランダの宣教師である。
本人は来日しておらず、様々な報告から『日本誌』を執筆したため、誤謬や誇張表現もあるようだ。
とはいえ、凄惨な拷問や処刑が行われていたのは間違いないだろう。
終わりに
このような事情があるため雲仙地獄の周辺には幽霊が出るという噂が流れている。
私としては、彼らは彼らが信ずる新しい世界に辿り着けたと信じたい。
コメント
ここで処刑されたのはキリシタンの方々ばかりじゃなく、冤罪で処刑された方々も多いと思いますから、数多くの亡くなられた方々の中には恨み辛みで化けて出て来られる方々も居ると思いますよ?
小学校の修学旅行が長崎県内でして、ここにも立ち寄りましたけど、近づくにつれ悪寒と偏頭痛の体調不良になりました。
せっかくの旅行なんで、気を使わせるのも悪いと思って黙ってましたけど、離れるに従って治りましたから、霊障みたいな感じになったのかなぁ?
プータロー様
キリシタンであれ冤罪であれ理不尽な処刑には違いないですね。
拷問、処刑が行われたのはそこまで長い期間ではなかったようですが、まぁ悲惨極まる光景だったのでしょう。
幽霊よりもタガの外れた人間の方がよっぽど恐ろしいと思っています。