永泉寺の幽霊石に参拝!名前は怖いけど、由来を知れば怖くない!

幽霊石

高崎市倉賀野町の永泉寺に幽霊石と呼ばれる曰く付きの石仏がある。

大昔から寺の境内に保存されているような石仏だ。それなりの理由や根拠があるのだろう。

それでは『永泉寺の幽霊石』をご覧あれ!

 

幽霊石

のっぺらぼう風のお地蔵様。

頭と身体を編み物で着飾っている。

手向けられた花は枯れかかっているが、まだ新しい。

昔から地元の人々はこの石を『幽霊石』と呼んだと云う。

 

幽霊石

此の奇石は其の昔、倉賀野城主金井淡路守の奥方を埋葬する爲掘った穴より出てきた石佛にして、まさに”張月の影消えて悲しく散りにし奥方の恨を含む”物語と歌った人もある樣に倉賀野古跡を飾る唯一の形見なり

昔より人呼んで永泉寺の幽霊石と言ふ。

永泉寺幽霊石の由來より

・金井(淡路守)秀景について

境内の家系図では清和源氏・新田氏の末裔だとされている。秀景は倉賀野十六騎の一人で関東管領の上杉憲政に従っていた。

後に武田信玄の配下となり、信玄が西上野を攻略した際に倉賀野城主に任命されている。

武田家滅亡後、織田家の滝川一益に仕え、一益が後北条家に攻め込まれ関東から脱出すると、後北条家の軍門に降った。

1590年に起きた豊臣秀吉による小田原征伐では後北条方の守将として小田原城に籠城した。

小田原城の落城後、しばらくして亡くなっている。

永泉寺は金井秀景が開基で、自らの菩提寺としたと云う。

この地は永泉寺砦と呼ばれる出城で、倉賀野城の北側を守る役割を果たしていたそうだ。

 

終わりに

幽霊石

いちのまる
いちのまる

初めて幽霊石って聞いたとき怖い印象しかなかったけど、由来を知るとそうでもなさそう。もし本当の話だったら、城主は石仏を奥さんの形見のよう大切に扱ったんだろうな。それが、今でも大事に守られてるんだからね。あの世で喜んでるよ、きっと。

『永泉寺の幽霊石』は心霊スポットとして知られているのだが、名前が怖いだけで由来を知れば何も恐れることはないとわかった。

この寺には幽霊石の他にムジナに纏わる言い伝えもあるらしい。

話が長くなるので割愛するが、興味のある方は調べてみて欲しい。

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