墜落事故が要因か?父母トンネルに纏わる怪談と地名の由来・歴史について

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父母トンネル

父母トンネルは1985年(昭和60)10月、国道299号線上に開通されたトンネルである。

名前の由来は地名から。『乙父(おっち)』『乙母(おとも)』の境に貫かれたため『父母』と名付けられたと云う。

1985年(昭和60)8月に起きた日本航空123便墜落事故の現場から近いため幽霊が出没するという噂があるようだ。

幾つかの心霊スポットサイトを拝見したところ『深夜になると少女の霊が大阪に行くのにはどうしたらいい?と聞いてくる。』とあった。

トンネル開通と墜落事故が重なっているのに加え、亡くなった少女と父母を結び付ける心霊スポットか…。

れい
れい

上手く言葉に出来ないけど、なんか胸糞悪い話ね。

 

父母トンネル

トンネル名の由来になった『乙父、乙母』には興味深い歴史/伝説が残っている。

大字乙父村 古遠西村ト稱シ上山庄ニ隷ス

考證

野栗社藏貞治二年所納大般若經奥書ニ上州上山庄遠西村黒澤某云々ノ記事アリ
傳説云文治年中今井四郎兼平ノ末葉乙母村ニ來住ス幼稚ナルヲ以テ郎黨乳母二人ヨクコレヲ慈愛扶養ス
偶幼君病アリテ早世ス貯金若干アリシヲ擧ケテ里民ニ與フ里民崇敬ス男ハ本村ニ住シ女ハ乙母村ニ居リシニヨリ幼君ノ父母ニ因ミテ村名ヲ立テタリト

多野郡誌『上野村 二、大字名及其由來』より

大字乙父村 古くは遠西村と称し、上山庄に属した

野栗社所有の貞治2年(1363)に納められた大般若経書に上州上山庄遠西村の黒澤某の記事がある。
伝説曰く、文治年中(1185~1190)、今井四郎兼平の子孫が乙母村に来住した。
幼かったため家臣と乳母の2人でこれを慈愛し扶養した。
思い掛けず、幼君に病気があって早世してしまった。
幼君の為に貯めていた財産が少しあったので里の民に与えた。里の民は彼らを崇め敬った。
男は本村に住み、女は乙母村にいたので、幼君の父母に因んで村名を立てたと云う。

今井兼平は木曽義仲の乳母兄弟で、治承・寿永の乱(1180~1185)の義仲挙兵に付き従い戦功を立てた。

乱末期に木曽義仲が討ち死にすると、それに続いて自害している。

絶体絶命の状況に置かれた義仲を最後まで裏切らず死を共にした忠臣として語られる。

上の写真は乙父トンネルと神寄橋。父母トンネルを背にして撮影。

 

終わりに

父母トンネル

以上が乙父、乙母に伝わる物語であるが、これは伝説の域を出ていない。

というのも、1382年(永徳2)に奉納された大般若経(県重要文化財・泉龍寺に保管)に、乙父が『越智』、乙母が『小友』と表記されている箇所があると云う。

そして、今井兼平に纏わる落人伝説を裏付ける文献は今のところ発見されていない。

地元の郷土史に詳しい方曰く『江戸時代初期に村おこしのため創作されたのではないか?』とのことだ。

心霊スポットと関係のない話になってしまったが、それはいつものこと。

心情的に心霊スポットとは認めたくない場所である。

コメント

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