須花トンネルの歴史。超有名な心霊スポットで何があった?

須花トンネル

栃木県足利市と佐野市を繋ぐ須花峠に穿たれた須花トンネル。

昭和期に掘られた現トンネルの両側に2本の古い隧道があり、それらは竣工された時代から明治トンネル、大正トンネルと呼ばれている。

それぞれ幽霊が出ると噂されているようだが、事故や事件が多発しているという話は聞いたことがない。

過去の新聞をデーターベースで検索してみたけれど、特筆すべき記事はHITしなかった。

 

昭和トンネル

須花トンネル

強いて心霊スポットの根拠となりそうな話をあげるならば、戦国時代にこの辺りで戦死した佐野宗綱の存在であろうか?

佐野宗綱は唐沢山城を拠点とする名家・佐野氏の第16代当主である。

1585年(天正13)元旦、後北条氏に組する足利の長尾顕長を攻略するため須花峠を越える計画を立てた。

家臣らは『元旦故に人が集まらない』『雪が深く道が不明瞭』『敵が来襲に感づいている』と主人を諫めるが、宗綱は聞き入れず一騎で駆け出し敵の銃撃を受け命を失ったと云う。

このことは新田老談記という軍記物語に記されている。

多少脚色されているだろうから何処まで真実かはわからない。

ただ、須花周辺で佐野宗綱が討ち死にしたことはほぼ間違いないだろう。

 

大正トンネル

須花トンネル

まだ確認出来ていないのだが、須花トンネルは2010年(平成22)5月に公開された【劇場版TRICK 霊能力者バトルロイヤル】のロケ地になっているそうだ。

いちのまる
いちのまる

まぁ、まだ最近の映画だし心霊スポットの噂とは関係ないだろうね!

予告編を見た限りシリアスというよりは、かなりネタっぽい創りの物語に感じられた。

時間があるときに観賞してみようかと思っている。

 

明治トンネル

須花トンネル

飛駒や下彦馬から足利方面に抜けるには急峻な須花峠を越えなければならなかった。

村落の住民は生活必需品を購入するため、炭や木材などの重荷を背負い何度も峠を往来していたそうだ。

上彦間、下彦間、閑馬三村の連合戸長だった田島茂平は少しでも彼らに楽をさせられないだろうかと立ち上がった。

1880年(明治13)、トンネルの開削工事を計画し、1881年から掘削作業に明け暮れる毎日を送る。

初めは『茂平さん、気がふれてしまったのか?』と怪訝な顔で見られたが、次第に協力者が集い工事の規模は拡大していった。

3年計画で掘り続けられていたけれど、5年経っても光は見えない。

粉塵を吸い込み病気になってリタイヤする者が続出。

そして、集めた資金が枯渇した。(奥さんにも逃げられたらしい)

掘削開始から8年目の1889年(明治22)1月。

茂平の眼前に光が差した。

こうして全長117m、高さ2.45~3~m、幅3.8mの初代・須花トンネルは開通した。

 

終わりに

須花トンネル

正直言って『田島茂平と須花トンネル物語』が興味深過ぎて途中から心霊スポットとかどうでも良くなってしまった。

上の写真はトンネルの近くにある石碑。碑文を引用するので、参考までにどうぞ。

この須花坂は昔から交通上の要地であつた

遠い戦国時代にはこの地をめぐつて東西両支配者の争奪戦が繰り返された

江戸時代になると

足利方面との交流が次第に増加し

この坂は人馬で込み合うようになつた

さらに明治時代になると

荷馬車が普及したが

この坂を越すことができず

人々はその不便さを痛感していた

その頃上彦間 下彦馬 閑馬三ヵ村の連合戸長を勤めていた上彦馬の田島茂平は

村民の悩みを解決しようと

明治十三年この坂にトンネル建設を計画し

有志の協力を求めた

その結果上彦間村五十三名

下彦馬村二十三名

閑馬村一名

名草村七名

足利町五名の賛成者を得

六千余円の資金が集められた

氏は自ら責任者となつて

同十四年工事に着手した

しかしながら当時の人力にのみ頼る幼稚な技術では

工事が容易にはかどらなかつた

そのうえ種々の障害もあり

資金も不足をきたし再度募集しても応じる人もなく

このままでは工事を放棄するよりほかなかつた

ここで氏は

地域将来の発展と住民の福祉を思い私財を投げ出して工事を続行させ

ついに同二十二年一月このトンネルを開通させたのである

このトンネルの便利さに目覚めた村民が

改めて氏を支援し

同二十五年トンネル内の木わくや排水溝等の整備工事を完成させた

これが新トンネルの南にある延長一一七メートルの草に埋もれたトンネルである

その後栃木県は

この交通路の重要性を認め

大正六年延長八三メートルの近代的なトンネルを造つた

これが新トンネルの北にある歩行者自転車用のトンネルである

昭和四十年代となると

自動車が急速に普及するとともに大型化の時代を迎えた

そのため大正期の第二トンネルも狭小となり交通に支障を来すようになつてきた

この情勢に応じ

栃木県は昭和五十一年新たに工を起し

四年の歳月を経て

ここに延長一五七・五メートルの第三のトンネルが完成した

これにより本地域と足利方面との交通はますます増加し

大いに産業文化の交流に役立つことであろう

ここに昭和の新トンネルの開通に当り

先人の労苦に思いを致し

その遺徳をしのぶとともに

この道を通る人々の安全を願う次第である

栃木県知事 松田譲 温故知新より

コメント

タイトルとURLをコピーしました