秩父市横瀬町にある姿の池へ。
何処にでもありそうな溜め池なので、殆ど情報は見つからないだろうと予想していたが、1830年(文政13)に上梓された新編武蔵風土記稿に姿の池の記述を発見した。
たった20程度の文字数であるけれども、風景図と併せると十分に歴史を堪能することが出来る。
以下に引用したので是非ご覧頂きたい。
姿ノ池 村ノ西ニアリ廣袤二町七段餘勝景イトヨシ
新編武蔵風土記稿 秩父郡之九 横瀬町より
村の西にあって面積は27000㎡余り、景色はとても良い!
図に描かれている池沿い道は現在と同じ様に見える。
池の近接に姿見山浄水場があることから、この辺りの丘は姿見山呼ばれているのだろう。
池の畔には石経塚、石仏(馬頭観音?)、戦争に纏わる石碑が安置されている。
石経塚の側面に”文政十三庚寅三月立(之?)”と刻まれていた。
名前からしてお経を石に刻んで奉納した記念に建てたものだろうか?
石仏は烏帽子のようなものを被っている故に馬頭観音と予想してみた。
1968年(昭和43)8月20日に建立された長島秀男顕彰碑。
裏面の文章を引用しよう。
われら古稀に達し 今猶愛郷の念忘れ難く 衆議して 当村出身
故長島秀男海軍技術中佐の遺徳顕彰碑建立の事を決した
君は幼にして聡明 家事に務め 学業に就くや衆に秀で 長じて愈ゝ英明勇断の気魄をそなえ
その学問上の業績を属望されて 海軍技術部門の改良に尽くす 時あたかも国家危急の時
君が研鑽はよく国防の任を果す 然れども戦局われに利あらず 遂に敗戦に終る
この時 君が責任感は 君に生くることを許さず 遂に 北九州市油山泪ヶ原において自決す
時に昭和二十年八月二十日 齢三十有九嵗なり
夕空晴れて 秋風吹き 月かげ落ちて 鈴虫鳴く
思えば遠し 故郷の空 あヽわが父母 いかにおわす
君が平常の愛唱歌である 切ゝたるその情 胸をうつものがある
われら今 君が遺志を受けて 深く平和を念願し 児孫の繁栄 文化の開進を憶うとき
青少年諸君の奮起を促し 洋ゝたる前途に大いなる期待を寄せるものである
君以て安んぜられんことを
長島秀男顕彰碑より
長島秀男氏は戦争の敗北に自責の念を抱き、福岡県福岡市の油山泪ヶ原で割腹した軍人である。
ネットで氏の名前を検索すると”爆彈破片の効果”についての研究論文がHITするが『航空魚雷の第一人者だったという。』という情報があることから、恐らくは同一人物だと思われる。
(違う可能性もあるので鵜呑みにしないで欲しい)
自決した油山にも自刃の碑が建立され、慰霊祭が行われていると云う。
終わりに
姿の池には人柱の伝説がある。
ここが心霊スポットだと云われる由縁はこれであろう。
この度紹介した石碑や石仏とは別に地蔵尊や歌碑も安置されているのだけれど、訪問時は知らなかったため見ることが叶わなかった。
『秩父の民話や伝説』に人柱伝説の由縁が残されている。概要は↓
詳細が気になる方は『秩父の民話や伝説』をご確認いただきたい。
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