処刑場があったと云うけれど…。祟りの松と西千葉稲荷大明神へ参拝!

西千葉稲荷大明神

西千葉駅北口に鎮座する西千葉稲荷大明神。

何処にでもありそうな稲荷社に見えるが、何やら暗い過去が秘められているらしい。

インターネットで西千葉稲荷大明神を調べると『鳥居の左隣に社の由緒書きが記してある』と紹介する方がいらっしゃったので訪問時に確認したけれども、恐らく由緒が書かれていたと思われる掲示板には既に何も無かった。

” 江戸時代に与助と言う20代の若者が、ウナギを卸しているとある年長の女将さんと恋仲になり、それが発覚して西千葉の刑場で処刑をされることが決まった。

刑場への道中、歯の強い男が与助の縄を歯で噛み切って、与助は江戸へと逃亡を図り、その後与助は小さな旅館で真面目に働き、その店は良く繁盛した。

その後家族にも恵まれていたのであるが、与助の頭には自分が逃亡してきた西千葉で、他の処刑された人々への思いが募り、ある日西千葉へ出向き、小さな石を積み上げて供養した” (境内由緒書より)

神社散歩 西千葉稲荷大明神より引用

貴重な情報であるため保存も兼ねて引用させていただいた。

 

西千葉稲荷大明神

かつてこの辺りには佐倉藩の刑場跡があり首切山、首切塚と呼ばれていたという話もある。

西千葉駅前にある松の木には刑場に纏わる祟りの伝説も残っているようだ。

由緒書きと刑場跡の実在を確証したいがために千葉市に問い合わせてみたが『自治体でも調べた過去はあるけれど、確証となる文献は見つからなかった。』とのご回答をいただいた。

佐倉藩の刑場といえば佐倉城跡の西にある江原刑場跡が有名である。

そちらは跡地に立派な慰霊碑が建立されていて、その歴史もある程度は判明している。

広大な領地を拝する佐倉藩であるから国内に数ヶ所の刑場があっても不思議ではない。

由緒書きには江戸時代とあるが、或いは文献に残らないもっと昔の処刑場だったのかもしれない。

 

終わりに

西千葉稲荷大明神

2015年8月、西千葉稲荷大明神の幟旗が燃やされる事件が発生している。

監視カメラの映像から当時23歳の会社員男性が器物破損の疑いで逮捕された。

同月の11日から6件連続して幟旗が破壊される事件が起こっていたとの事。

動機は”家族の健康を祈願したが、成就しなかった”故の逆恨みであった。

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