佐倉城内の姥ヶ池に纏わる心霊スポットの噂

姥ヶ池

佐倉城内、一面に睡蓮の広がる姥ヶ池。

江戸時代の『とある伝説』からこの池では怪奇現象が起こるようになったと云われている。

一体何が起こったのであろうか?その謂れを紹介しよう。

 

姥ヶ池の場所

最寄りの駅は京成佐倉駅で、徒歩20分程の距離にある。

駐車場も完備されているので自家用車での訪問も良いが、桜や菖蒲の季節は満車状態が続くそうなので注意が必要との事。

 

姥ヶ池と蛙合戦

姥ヶ池

江戸時代中期に書かれた『古今佐倉真佐子』は当時の佐倉城の様子を知る上で欠かせない古書である。

そのなかの一節に姥ヶ池が登場する。

此坂左の方谷下ニ臼田理兵衛屋敷脇の池ニ水ある、鮒沢山ニすむ、流れなきため池故服シてあしし、此池にてまいはる三月末ニハかわすがつセん有之、数千疋のひき蛙あつまり左右へわかれて昼夜七日か程の内左右へ入違ニ蛙共出くい合てをゝいたるハ友の蛙セを入ル也、水こく〱泥水ニ成ル也、此蛙共六七里外より集ルよし、此内ハ在辺ニひきかへる一切なし、此かつセん済と在々にかわすあるよし百姓共咄にて承る、扨〱むさきものしかしめつらしき事故各見物たへすある也、人見居てもかまハす土くれなけ入ても一切かまハざる也、名高蛙かつセん也

佐倉市史編さん委員会 発行 古今佐倉真佐子 21~22頁より

この坂の左側の谷下に臼田理兵衛屋敷あって脇に池があります。
池には鮒がたくさん住んでいます。
流れのない池なので飲むと身体に悪いです。
この池では毎年春の三月末にカエルの合戦があります。
数千匹のヒキガエルが集まって左右に分かれ昼夜七日程の内に左右へ入れ違いにカエルが出食い合って覆い重なります。
水は時間と共に泥水になりました。
このカエルたちは6~7里離れた場所より集まり、カエル合戦の間は近場にヒキガエルは一切いなくなります。
この合戦が終わると所々にカエルが現れると百姓たちの話を聞きました。
さてさて、あんまりきれいな話ではないけれど、この珍しい風景を見た人が沢山いました。
カエルたちは人が見ても、土くれを投げ入れても一切気にしませんでした。
これが名高きカエル合戦です。

少々訳がおぼつかない感じではあるけれども、大体こんな感じではないか?

今はどうだか知らないが、姥ヶ池は蛙たちの盛り場だったのだろう。

姥ヶ池に纏わる話なので長々と紹介したものの蛙合戦は怪奇現象との因果関係は無い。

 

お姫様と姥の伝説

姥ヶ池

この池は江戸時代、かきつばたの名所でした。

(中略)

後に(天保年間)この池のまわりで家老の娘をおもりしていた姥があやまって娘を池に落としてしまい娘はそのまま沈んでしまいました。

姥は困り果て身を投げたと伝えられ、以来『姥が池』といわれるようになりました。

現地案内板より

中略の部分は前述した蛙合戦の事が書いてあった。

家老の娘が城主の息子になっている物語もあるようだ。

いちのまる
いちのまる

無きにしも非ずかな。

家老、殿様のご子息・ご息女を過失とはいえ死なせてしまったら極刑は免れない。

或いは自ら死を選択する場合もあり得る。

姥ヶ池に心霊の噂があるのは間違いなくこの伝説が関係している。

私は霊を感じないタイプの人間なので分からないが、お姫様と姥の霊が出てくるのだろうか?

 

終わりに

姥ヶ池

他に目ぼしい話は無いかと過去の新聞をちょっと漁っていたら1つ興味深い記事を見つけた。

2009年(平成21)6月の朝日新聞。

陸軍駐屯地時代、兵士の間で幽霊出没の噂が語り継がれて来たと云う。

・ある兵士と恋に落ちた遊女が兵営に訪ねてきたが、門衛に射殺された話

・上官にこっぴどく叱られ古井戸に投身した兵卒の話

記事にはどのような霊が出たとは書かれていなかったけれど『着物の女性の霊が門の近くに…。』とか『井戸から夜な夜な泣き声が…。』的な噂が流れていたのだろうか?

姥ヶ池の直ぐ近くに処刑台と噂される謎の階段もある。

そちらについては別の記事で触れているので是非読んで頂きたい。

史跡としても見ごたえあるし、心霊スポットとしても中々に充実したお城であった。

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