千葉市中央区亥鼻に七天王塚(しちてんのうづか)と呼ばれる、なんだか中二病者の心をくすぐるようなネーミングの祠がある。
7つの塚の周囲に生える大樹を切断しようとすると呪い殺されるなどといった伝説が残されており、古くから怪異スポットとして知られていたようだ。
果たして、どのような歴史が秘められているのだろうか?
七天王塚へのアクセス
千葉駅から出ている京成バス(南矢作行)に乗って千葉大医学部・薬学部入口で下車すると目の前に七天王塚がある。
googleマップを見ると付近に有料駐車場が確認出来るので自家用車で向かっても問題ないだろう。
私は時間の関係上、1つの塚しか見れなかった。
殆どの塚が千葉大学医学部の敷地内にあるので、全て参拝するためには大学の許可が必要かと思われる。
七天王塚の歴史
結論から言うと七天王塚のはっきりとした由来は判明していない。
千葉大学が校内に研究棟を建設する際に行われた発掘調査で竪穴式住居跡や7世紀前半の前方後円墳が見つかった。
その古墳を囲うように七天王塚が配置されていたと云う。
千葉氏と七天王塚
七天王塚はこの一帯を治めていた千葉氏と深い関わりがある。
点在する塚にはいずれも石碑が置かれ、千葉氏の守護神『牛頭天王(堀内牛頭天王や七天皇)』の名が刻まれている。
石碑の年号は古いもので1773年(安永2)、最新ものは1978年(昭和53)である。
牛頭天王は頭上に牛の面を置いた憤怒の相をした神仏習合の神様で、神道ではスサノオ、仏教では薬師如来と縁が深い。
京都祇園の八坂神社の御祭神であることから牛頭天王が祀られる社は祇園社と呼ばれ、疫病の流行を防ぐ神様として各地で信仰された。
北斗七星と七天王塚
北極星や北斗七星を崇める妙見信仰、千葉氏はこれを信仰していた。
鎌倉時代に関東地方で広まっていた妙見信仰と平将門の伝承を上手く取り入れ一族の結束と周囲に対する牽制を狙ったと云う。
千葉氏は城や館を建てる際にしばしば妙見社を建立し、これを深く信仰した。
どうやら七天王塚は北斗七星の並びに沿っているらしい。
空中写真を見るとそんなように見えなくもない位の感じです。
終わりに
千葉氏7人兄弟の墓、平将門の7人の影武者を祀った墓だという伝説もあるようだ。
七天王塚が曰く付きの場所として語られて来た理由は、七天王塚を守るためだったのではないかと思う。
先祖代々守ってきた神地を荒らされないように『むやみやたらに近づいてはならぬ。悪さをすれば祟られる。』と語り継がれて来たのかもしれない。
7つの塚がどれも破壊されず残存するのは、その結果であろう。
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