鎌倉五名水の銭洗弁財天宇賀福神社へ!お金にまつわる心霊スポットって話を聞いたけど

銭洗弁財天宇賀福神社

幾つかの心霊サイトで紹介されていたので期待して赴いたのだが、どちらかといえばパワースポットの色が強いように感じられた。

何か事故や事件が起きているのか調べてみたけれども、近くの山林で首を吊った男性の白骨が発見されたくらいで直接的な変事は見られなかった。

心霊スポットの根拠となりそうな具体的な情報をお持ちの方がいらしたら是非ご教授願いたいものである。

オカルトチックな話はこれくらいにして、純粋に銭洗弁財天宇賀福神社の歴史について紹介しようかと思う。

 

銭洗弁財天宇賀福神社へのアクセス

銭洗弁財天宇賀福神社

JR鎌倉駅西口から駅を背にして700m進むと佐助一丁目にあたるので右折。

道なりに600m先に銭洗弁財天宇賀福神社の隧道が見えてくる。

駅から徒歩で約15分程。道中に案内板をちらほら見掛けたので迷うことはないだろう。

銭洗弁財天の直ぐ近くに平日限定の駐車場があるので自動車でも問題ないが、道が狭いので注意が必要。土日はやや離れた有料駐車場を利用する必要がある。

いちのまる
いちのまる

鎌倉観光は自動車よりも公共の乗り物を使った方がスムーズだと思います。
全てタクシーで済ませられるような小金持ちなら別ですが…。

 

 

新編相模国風土記稿に見る銭洗弁財天宇賀福神社

銭洗弁財天宇賀福神社

名水五。金龍水。不老水。以上。山之内村。建長寺ニ在リ。錢洗水。扇ヶ谷村ノ屬。日蓮乞水。大町村ノ屬。梶原太刀洗水、十二所村ノ屬。以上ヲ鎌倉五水ト稱ス。

新編相模国風土記稿 鎌倉郡巻之一 村里部より

名水五。
金龍水、不老水、以上は山之内村の建長寺にある。
銭洗水、扇ヶ谷村に属する。
日蓮乞水、大町村に属する。
梶原太刀洗水、十二所村に属する。
以上を鎌倉五水と称する。

この内、金龍水と不老水は残っていないが、他の三水は現存する。

扇ヶ谷村の銭洗水が今回紹介する銭洗弁財天宇賀福神社を指す。

1685年(貞享2)に発刊された新編鎌倉志に既に名前が出ているので、かなり歴史のある湧水だったことが分かる。

因みに上で引用した新編相模国風土記稿の刊行は1841年(天保12)。

 

銭洗弁財天宇賀福神社

隱里。村ノ西方。佐介谷ニアル大巖窟ヲ云フ。往古夜中ニ。人語ノ響アリ。聞ニ盡く吉事ノミヲ語リシト云フ。又窟中ニ。銭洗井ト云フアリ。福神此水ニテ。錢ヲ洗フト云傳フ。鎌倉五水ノ一ナリ。

新編相模国風土記稿 鎌倉郡巻之二十一 村里部より

隠里。
村の西、佐助谷にある大巌窟のことを云う。
昔から夜中になると人の声が聞こえてくると伝わる。
聞いたところによると、その人の声は全て良い事を語ると云う。
また洞窟内に銭洗井と云うものがある。
福の神がこの水で銭を洗うと云い伝えられている。
鎌倉五水の一つである。

昔から銭洗弁財天では『何かが出る…。』と囁かれていたようだが、それは恐怖の対象では無く、むしろ人々に吉祥を伝えるめでたい『何か』であった。

それが幽霊なのか神様なのかは私には分からないけれども、考えてみれば幸福を運ぶ幽霊がいてもよい気がしないでもない。それをもはや幽霊とは言わないのかもしれないが…。

 

銭洗弁財天宇賀福神社

ここはお金を洗う神聖な場所。

私は客寄せのために銭洗いでも始めたのかと訝った見方をしていたが、新編相模国風土記稿に銭洗井の言い伝えがあるという事は、少なくとも江戸時代の後期には既に銭洗の祈願が行われていた証拠である。

まぁ、歴史があったとしても事の始まりは単なる客寄せだった可能性も捨てきれないけれども…。

 

源頼朝にまつわる伝説

銭洗弁財天宇賀福神社

一人の老人が頼朝公の夢枕に現われて、『ここから西北の方向に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧き出しています。

そこは清浄な地で福の神が住んでいて、その水を使っています。

この水こそが真の神の霊水なのです。

この水を絶えず使って、神仏をまつれば、人々は自然に信仰心を起こし、悪鬼や邪鬼も退散して、国内はすぐに平穏に治まります。

私こそは隠里(かくれさと)の主である宇賀福です。』というとその姿を消しました。

目を覚した頼朝公は、心から宇賀伸を敬い、夢のお告げの通りに西北の谷に泉を見つけました。

そこに岩窟を掘らせ、宇賀神をまつり、その水を使って神仏の供養を続けると国中は静かになり、人々は富み栄えるようになり、これがここの起りだといわれています。

鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社 御由緒より

伝説の域を出ないが、鎌倉幕府を開いた源頼朝が神のお告げを聞き入れ銭洗弁財天宇賀福神社の前身を創建したという説がある。

頼朝公が祀ったと伝わる宇賀神は『蜷局を巻いた蛇の頭に翁、或いは女性の頭が乗っている人頭蛇身の神様』であるが、その起源はよく分かっていない。

この神様は日本特有の神仏習合の思想によっていつの間にか弁財天と同一化され宇賀弁財天とも呼ばれるようになった。

宇賀神と弁財天は水に関わりの深い神様なのでしばしば水辺に祀られ、大蛇や龍神の逸話を併せ持つケースが多い。

 

その後、正嘉元年(一二五七)巳の年の仲秋に、時の執権北条時頼公は、頼朝公の信心を受け継いで、隠里の福神を信仰しました。

その時、公は『辛巳(かのとみ)』『なる』『かねの日』がすべての人々に福徳が授けられる日だと調べ、この日に人々が参詣することをすすめたということです。

また、この時弁財天を信仰する者が、持っている金銭をこの水で洗い清めると同時に心身を清めて行い慎しめば、不浄の塵垢が消えて、清浄の福銭になるといい卒先して持っている金銭を洗って一家繁昌、子孫長久を祈りました。

以来七百余年銭洗井は鎌倉五名水の一つとしても天下に聞こえ、四季の参詣者は絶える事はありません。

鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社 御由緒より

吾妻鏡によると1257年(正嘉1)に関東南部で大地震が発生している。

日付は旧暦の8月23日なので、上記引用文にある北条時頼が鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社に信仰を集めさせた時期と重なっている。

偶然であろうか?

 

神社佛閣一宇而無全、山岳頽崩、人屋顛倒、築地皆悉破損、所々地裂、水涌出、中下馬橋邊地裂破、自其中火炎燃出、色靑云々

吾妻鏡 47巻より引用

神社や仏閣の一件とも無事ではなかった。山は崩れ、人家は倒壊し、築地は悉く破損、地面は裂け、水が漏れだし、中下馬橋の辺りでは地面が裂けて、炎が燃えだし、色は青かった。

同年の11月8日にも同じ規模の地震が発生しているようだ。

前後関係は判然としないので何とも言い難いけれども、鎌倉銭洗弁財天宇賀福神社の口伝が真実であるならば、大混乱に陥った民衆たちをどうにか宥めようとした幕府の一計だったのかもしれない。

 

終わりに

銭洗弁財天宇賀福神社

私は迷信じみた話を信じない質なので、銭洗いはしなかった。
(単身旅行だったので恥ずかしかったというのもある)

何処で聞いたか失念したが『お金に関するドロドロとした欲が集まる場所』だから空気が悪いという話もあるようだ。私もそう教育されてきた世代だから理解出来なくも無いが『金=悪』という短絡的な思想に辟易する。

なんだろうか?

『ゲゲゲの鬼太郎』の『ねずみ男』のような妖怪或いは幽霊が出るとでも言うのだろうか?

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