東京競馬場の怪異!魔の第3コーナーと都指定旧跡・井田是政墓について

 

東京競馬場

東京都府中市の東京競馬場。

幽霊とは縁遠い場所のように思えるが、心霊スポットの噂がある。

その由縁を考えてみてまず思いついたのは落馬による死亡事故。東京競馬場は1933年(昭和8年)11月に開場。長い歴史を振り返れば当然何件もの落馬事故が起きている。中には亡くなってしまった騎手の方もいらっしゃるようだ。

事故と言えば人間だけでなく競走馬も場内で亡くなっている。特に有名なのは第118回天皇賞(東京競馬場)のサイレンススズカだろうか。彼はレース中に足を骨折し予後不良と診断され場内で安楽死となった。

色々と想像してみたもののこれが心霊の根拠と言われてもなんだか腑に落ちない。

 

東京競馬場

他に何かあるだろうか?

ギャンブルによる借金苦の自殺はどうか?東京競馬場で自殺があったという話は聞かないが、とある競馬場で『お馬で人生アウト』と書かれた遺書を残して場内トイレで感電自殺をした男性がいる。騎手や馬の死よりもまだこちらの方が幽霊の根拠として説得力があるのではないかと思う。

余談だが、私も一時期ギャンブルに熱中してしまい、結果不安定な精神状態に追い込まれたことがある。借金を作るまでにエスカレートしなかったが生活費を殆ど浪費し激しい自責の念に苛まれた。自業自得とはわかっていながらも抵抗虚しく引き込まれてしまうような魅力がギャンブルにはある。

だからギャンブルは好きじゃない。

 

東京競馬場の幽霊の真実?!

東京競馬場

出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1992/10/10(平4)撮影)

とあれこれ考えてみたが、噂の根拠は全く別のところにあった。

答えは東京競馬場の第3コーナーから第4コーナーの間にある井田是政の墓である。

赤丸で囲っている場所が井田是政の墓で、墓の辺りは通称・大ケヤキと呼ばれている。

むかしは大きなケヤキが植えられていたが、落雷で折れてしまった。
現在一番高い木は約15mのエノキ。それでも変わらず大ケヤキと呼ばれているとのこと。

井田是政とは何方だろうか?調べてみよう。

 

井田是政について

東京競馬場

舊家 百姓佐兵衛

井田氏ナリ ソノ家系ニ據ニ畠山次郎重忠ノ四男四郎左衞門尉重政ソノ父兄 元久の亂ニ討死ノ時ニアタリテナオ幼穉ナリシ故 家臣久米川新七郎トイウモノ伴ヒ去テ三河國額田郡井田村ニ住セリ 是ヨリ井田ヲ以テ氏トス 遥ノ後裔ニ及テ小田原北條ノ家人トナレリ太郎左衛門政能ノ子次郎四郎攝津守是政ニ至テ 天正十八年北條氏照ニ從テ八王子城ヲ守リシカソノ城落テ後 富永高橋小磯等ト共ニ世ヲ避テ府中邊ニ忍ヘリ 其頃イクツモ攻戰ヲ經テ土地荒廢ニ及ヒシ折柄ナレハ 是政コノ地ヲ再發シテ土着セシナリ コレニ因リテ村名モ是政ト呼リ 昔ハ豪家ノヨシナリシカ近來甚た衰微ニ及ヘリ シカシナカラナヲカレカ譜代トイエル百姓猶村内ニアリ

新編武蔵風土記稿 卷之九十一 多磨郡之三 是政村より

旧家 百姓・佐兵衛

井田氏である。

その家系によると、畠山重忠の四男・重政やその父兄が元久の乱(畠山重忠の乱)で討ち死にした時はまだ幼かったため、家臣の久米川新七郎という者に連れられて三河国の額田郡井田村に住んでいた。

これより井田の氏を名乗った。

ずっと後の子孫に及んで、小田原の後北条氏の家来となった政能の子・是政に至って、1590年(天正18)に北条氏照に従って八王子城を守っていたが、その城が落ちた後、富永・高橋・小磯等と共に世を避けて府中辺りに隠れ潜んだ。

その頃いくつもの戦いを経て土地が荒れてしまったタイミングで丁度よく是政はこの地を再開発して土着した。

こうして村名も是政と呼ぶようになった。

昔は裕福な家だったが、近頃は酷く衰えてしまった。

しかしながら今も彼から繋がる家系といえる百姓が村内にある。

是政村と呼ばれる以前は横山村と呼ばれていたらしい。正確な場所はわからないが新編武蔵風土記稿に『横山屋敷』と呼ばれる旧跡が記されていて、そこには『今コノ邊横山ヲ氏トスル者多シ』とある。鎌倉時代前後に活躍した武蔵七党の横山党に縁ある氏だろうか。

井田是政の先祖とされる畠山重忠については↓を御覧あれ。

井田是政に関する情報は殆どないと言っていい。何百年もの間、その名を地名に残し続けているのにも拘らずだ。それまでの地名をわざわざ領主の名前に改めるくらいだから当時の住民が彼から多大な恩恵を受けただろう事は想像に難くない。

かつての主君だった後北条氏は政治に長けた家系だったと云う。井田是政もそれを見習い温情を持って統治していたのかもしれない。

 

終わりに

東京競馬場

東京競馬場内の井田是政の墓には大手町の平将門の首塚と似通った都市伝説が残っている。

移設しようとすると関係者に不幸が起きる。

周辺の樹木を伐採しようとすると呪われる。

といった感じで他にもまことしやかな噂が囁かれている。

彼は競馬場内で丁重に祀られているが、レースの開催日は熱狂する大勢の競馬ファンに囲まれ嘸かし喧しいことだろう。

私がその立場だったら『もっと静かな場所へ…。』と嘆息してしまいそうだ。

或いは戦国武将だった彼ならば走る馬を品定めしつつ悠久の時を楽しんでいるのかもしれない。

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