正面の森の中に聖仁会小川病院(通称・小川脳病院)と呼ばれる廃墟がある。
航空写真を眺めると1960年代に建てられた物件だとわかる。にも拘らず『戦時中に人体実験が行われていた』などという荒唐無稽な噂が流れている。他に『ホルマリン風呂があり死体を漬けていた』という話もある。ホルマリンの死体洗い……?都市伝説でよく聞く話しである。
噂の表現が過剰だと陳腐で胡散臭い感じがしてしまうのは私だけだろうか。
ネットで内部の写真を見てみたが、確かに底気味悪い趣きはある。ただここに限らず廃墟にはそういう雰囲気が漂うものだ。
心霊の噂が全国的に広がってしまったのは『地元Kidsが肝試し感覚で侵入を繰り返している内に尾鰭の付いた噂が拡散されていった』或いは『廃墟マニアが開拓した後に情報が拗れて心霊の噂に繋がっていった』のではないかと当て推量してみる。
いちのまる
YouTuberのMSレッドカーペットさんが現地で聞き込み調査しているので気になる方は検索してみてね。
小川病院のおおよその過去は見れるかと思います。
直接YouTubeのURLを貼ろうかと思ったけど許可を得ていないので止めておきました。
コメント
病院系心霊スポット、特に廃墟のたぐいだと根拠不明というのがよくありますからね。
参考までに、下記の如き明確な根拠のある事実をば。
以下は、ブログ「隠居の思ひつ記」から引用させていただいた群馬県高崎市にある寺の記事です。
>荘厳寺の一角に、立派な地蔵堂が建っています。
>このお地蔵様は、以前、城南小学校下の国道に面したところにあったものを、国道の改修時にここへ移転したのだそうです。
>地蔵堂の傍らに、「地蔵菩薩建立縁起」と刻んだ石碑が建っています。
>そこには、こう刻まれています。
「 抑々茲に厄除地蔵菩薩を建立さるの所以は この地にて遭難せる横死者各々の精霊並びに旧避病院跡にまつわる有無両縁の萬霊成佛供養のためなり」
>ここに出てくる「避病院」というのは、伝染病患者の隔離病棟のことです。
明治十五年(1882)「高崎伝染病院」として設立され、昭和三年(1928)には「市立城南病院」と改められます。
しかし、人々の間では「避病院」という名で呼ばれていました。
当時の地図を見ると、その名の如く人々が近づかないような場所に置かれていたことが、よく分かります。
剣刀太子王さん
こんにちは!
病院の廃墟というだけでスポット認定されることが多いですね。
人が亡くなるような科がないにもかかわらず……。
『隠居の思ひつ記』は初めて拝見しましたが、かなり詳しく調べられている方のようですね。
あとでじっくり読んでみようかと思います。