大分県日出町にある日出殉教公園。
閑静な住宅街にある小さな公園に”殉教”の文字。
何が起こったのか、大方察しは付くが現地に案内板があったので、公園の風景と共に歴史を紹介しようと思う。
それでは参ろう。
日出殉教公園
公園は何処にでもありそうな普通の公園だった。
近隣の子供たちは『ちょっと殉教公園で遊んでくる!』とか言うのだろうか?
ジョセフ・チェノットゥ大司教という方が遥々巡礼にいらしたようだ。
公園の裏には若干不気味な石碑が安置されていた。
殉教公園にも拘らず、明らかに仏教の文言が刻まれている。
日出藩成敗場跡地
ここは日出藩の処刑場跡らしい。
今のところ殉教とは結び付かないが…?
殉教?いったい何が起きたのか?
時は戦国時代末期。
日本を統一した当初の豊臣秀吉はキリスト教に寛容な態度を取っていた。
しかし、次第にキリスト教に対して懐疑的なり始め、遂にはバテレン追放令を発布した。
徳川家康によって開かれた江戸幕府は秀吉よりも苛烈な弾圧を加えている。
1612年、江戸幕府は禁教令を発布。
これは幕府直轄地だけに限って出されたものであったが、天下を牛耳る幕府がそのような法律を発布ものだから外様大名たちも従わざるを得なかった。
半左衛門とぢゃこも
当時、日出藩を治めていたのは木下延俊である。
日出藩家老職を務めていた加賀山半左衛門はキリスト教徒であった。
息子に”ぢゃこも”名付ける程の信心ぶりだったそうだ。
藩主はこれまで当家を支えてきてくれた彼を処罰したくないと、何度も何度も改宗するように説得したけれど、半左衛門は拒否を続けたと云う。
藩の重臣に禁止令を背く者がいたのでは示しが付かないと、止む無く家老職を剥奪し死刑を宣告した。
死刑執行日。
半左衛門が役人に呼び出され連行されたとき、息子の”ぢゃこも”が父の前に立ち『私も父上と一緒に死にたい!』と泣きながら言ったそうな。
半左衛門はそれを許可し、父子共々この地へ連れていかれ、先に半左衛門、後に”ぢゃこも”が処刑された。
終わりに
九州地方は殉教に関わる場所が多い。
心の底から神を信じ、豊かな死生を願う。
信心のために命まで捨てるって恐ろしいと思う反面、関心してしまう私がいます。
しかしまぁ、”ぢゃこも”まで殺さなくてよかったと思いますが…。
コメント
殉教の地。改宗ってそんな簡単にできませんよね。
キリスト教って、生き方、考え方のそのものって感じもしますからね。
上総さん
様々な歴史を見ていくと必ずといっていいほど宗教が絡んできますね。
自分は特定の宗教を信じていませんが、歴史のついでに調べるととても興味深いです。