信濃国の真田氏ゆかりの地として知られる沼田城の片隅にある平八石。
柵に囲われ献花台が設置されている姿はまるで墓そのものである。
後から知った話であるが、この石は曰くがあり『むやみやたらに近寄ってはいけない!』と言われているらしい。
さて、この平八石にどのような歴史があるのか見ていくことにしよう。
平八石へのアクセス
電車を利用するならJR沼田駅下車、徒歩15分から20分で着く。
自動車なら関越自動車道沼田インターチェンジを下りて右折し道なりに。
材木町の信号も直進すると沼田公園の看板が出てくるのでそれに従おう。
平八石について
結論から言うと平八石は沼田景義(平八郎)の首塚である。
昔々、沼田城は地元の国人衆である沼田氏が統治していた。
当時の群馬県は強大名(武田、上杉、後北条)に囲まれていたため、しばしば戦場と化していた。
そんな中、沼田氏は一致団結するどころか内部紛争に明け暮れ、やがて領地を奪われ当主の沼田顕泰は越後国に逃げ落ちている。
顕泰は越後の上杉謙信を頼って再び沼田城を奪取するけれども、謙信は顕泰に沼田領を任せず、自身の家臣を城代にしている。
顕泰のその後はわからない。
沼田氏がいなくなった沼田城は上杉氏→後北条氏→武田氏(真田氏)と所有者が入れ替わっていく。
そして、真田氏の時代に沼田景義(平八郎)が登場。
平八郎は太田の由良氏を頼り沼田氏の再興を目指し沼田城に迫るが…。
真田昌幸は戦っては平八郎に勝てないと知り城中にいた金子美濃守をだました。貪欲な美濃守は、己が栄進したいため平八郎に会い武装を解き、こっそり城内に入れて『お前が必ず城主になれるようにしてやる。』と偽り、城内に誘い入れて殺害した。
沼田公園 平八石の由来より
無念の平八郎。
戦わずにして勝つとは…。流石、表裏比興の者の異名をもつ真田昌幸である。
終わりに
平八郎は首実検の後、石の上に置かれ、亡骸は別のところへ埋葬されたと云う。
これが平八石の由来である。
また以下のような伝説も残っている。
平八郎の首は胴体が埋まる地まで『びゅ~ん』と飛んで行ったそうです…。
平将門の首塚と似たような伝説。
といっても将門公とは首の飛距離が比較にならないが。
コメント
平八郎を騙した金子美濃守泰清は、平八郎の母方祖父だったりします。
血縁者に騙された平八郎の無念はいかばかりか…
剣刀太子王 さん
戦国の世ですね…。
様々な思惑が蠢いています