山形県の羽黒山、奈良県の大峰山、そして福岡県と大分県に跨る英彦山。
これら三山を合わせて日本三大修験山と呼び、古来より霊山として崇められ多くの修験者たちが籠り修行に明け暮れた。
今回は標高1199mの霊山・英彦山に登って来たので、銅の鳥居から英彦山神宮・奉幣殿までの宿坊群、奉幣殿から上宮、上宮から最高点の南岳までの風景をご紹介しよう!
英彦山へのアクセス
最寄りの高速ICは小倉南インター、八幡インター、日田インター、杷木インターなど。いずれのICからも1時間程かかる。
また、JR添田駅からバスが出ている。
銅の鳥居から頂上まで片道2時間はかかると思って挑んだ方が良い。
道中には急勾配な箇所が多く、鎖場も2か所あるのでしっかりとした装備を準備しよう。
あと飲み物もお忘れなく!
銅の鳥居から英彦山神宮・奉幣殿
銅の鳥居から出発!
石畳が続く。
点在する宿坊跡
石畳の道の両側には修験者(山伏)たちが住居として利用した宿坊が点在する。
現存する財蔵坊
財蔵坊と呼ばれる宿坊のみが現存していて内部の見学が可能。
英彦山の歴史
なんだか城跡を見ているようです。
実際、城のような役割も果たしていた。
戦国時代になると豊後の大友氏と英彦山の僧兵が争いを繰り広げ、また1587年(天正15)に九州を平定した豊臣秀吉は英彦山の武力を警戒し領地を没収している。
一時頽廃したが、1600年(慶長5)に起きた関ヶ原の戦い後、豊前領主となった細川氏が英彦山の再興に尽力した。
1868年(明治1)の神仏分離政策と1872年(明治5)の修験宗廃止の発布により完全に衰退してしまった。
第二百七十三號
修験宗ノ儀自今被廢止本山當山羽黒派共從來ノ本寺所轄ノ儘天台眞言ノ兩本宗ヘ歸入被
法令全書 明治5年より
奉幣殿に到着
銅の鳥居からしばらくの間は緩やかな道が続くが、次第に険しくなっていく。
ここ迄でへばっているようでは登頂はあきらめた方が良いと思う。
英彦山神宮奉幣殿。
工事中…。残念。
奉幣殿から上宮
ここからマジの登山!
さて、頑張って登ろうか。
下宮
下宮。
登山開始!
登山道らしくなってきた。
二つの鎖場
鎖場と言っても難易度は低い。
二つ目の鎖場。
こちらの方がやや難しい。
中宮(中津宮)
中宮(中津宮)。
狩籠護法とは?
狩籠護法(かりこめごほう)。
ここは英彦山を開山した善正上人の弟子・藤原恒雄を守り神として祀る祠跡と伝わる。
この場所で恒雄が白鹿を弓で射殺したところ、三羽の鷹が舞い降りて、一羽がクチバシで矢を抜き、一羽が傷の血を拭い、一羽がヒノキの葉を使って水を飲ませたところ、白鹿が生き返りました。
恒雄は殺生の非を悟り、善正上人の弟子となり、忍辱(にんにく)と名を改めたと言われています。
環境省・福岡県 『狩籠護法』の説明板より
稚児落としについて
昔、佐賀藩主の鍋島清久が幼少のころ、英彦山上宮参拝の帰りに、この断崖から転落したが、奇跡的に助かった。彦山権現の霊験によるものとして、清久深く感激して国に帰った後、藩内の庄徳善院に社殿を建立し、彦山権現を崇拝した。その故事からこの断崖を稚児落しと言い伝えた。
環境省・福岡県 『稚児落とし』の説明板より
鍋島清久が佐賀藩主???まぁ、いいや。
そういう言い伝えが残る場所。
関銭の跡
関銭の跡。
豊臣秀吉が神領を没収したので英彦山の財政が苦しくなり、関銭所を設け参拝者より金をとっていた。現在の入山料か。
関銭 説明板より
いつの時代もお金がなければ宗教運営は継続出来ない。
心霊写真が撮れた?!産霊神社
産霊神社(むすび)です。
文武天皇の時代、往古高皇産霊尊鎮座の旧地であるという神託があり、聖武天皇、天平十二年頼願によって建立されたと伝えられている。 石だたみは、護摩壇の跡であり、 修験道時代は役行者の木像が安置されていました。安産守護の神として信仰があります。
環境庁 福岡県 『産霊神社(行者堂)』の説明板より
光の具合だと思うが白い靄みたいのが左右にかかっている気がする。
霊感のある方如何だろうか?
頂上付近の開けた風景
ここから一気に景色が開けていった。
これまで森の中をひたすら登って来たので爽快感が半端ない。
上宮に到着
上宮に到着。
上宮の裏手に休憩場がある。
多くの登山客で賑わっていた。
英彦山山頂の碑。
ここは中岳と呼ばれる場所で英彦山の最高点ではない。
せっかくなので最高点の南岳を目指す。
上宮から最高点の南岳まで
上宮から南岳まではそれほど離れていない。
しかし、道は険しい。
道中振り返ると良いアングルで上宮を収められる撮影スポットがある。
英彦山最高点南岳
南岳に到着!
三角点を発見。
英彦山大権現。
少し休憩して下山。
下山後、修験道館に寄る
奉幣殿の裏側に英彦山・修験道館があり、英彦山の歴史に関する遺物が展示されている。
かなりハイペースな登山だったため常に息切れていて汗だく状態、立ち止まると生まれたての小鹿のように足がガクブルしていた。
よく写真がブレなかったと我ながら関心。
終わりに
英彦山は心霊スポットとして紹介されることがある。
大昔から聖域と知られ多くの山伏たちが英彦山で修業した。
一般の人々は世間離れした修行僧の集まる英彦山に対して霊妙で不気味なイメージを抱いたのかもしれない。
修験道の山岳に天狗が住んでいるという伝説があるのもそういうところから来ているのだろう。
また心霊スポットの根拠として、2014年(平成26)に発生した女子高生集団パニック事件の影響も大きいと思う。
研修終了後、その女子高生が学校で授業を受けているとき突然『キャーッ!』と叫んでうずくまってしまう。
すると同じ教室にいた生徒や様子を見に来た生徒らも次々と同じような状況になってしまい、計26名の女子生徒がパニック状態に陥り体調に異常をきたしてしまった。
この話はインターネット上でも噂になり『英彦山の霊の仕業ではないか?』と囁かれた。
『心霊スポットに行った』→『霊に憑りつかれたかも』→『調子がわるいかも…』→『パニックになる』→『周囲も同じ感覚に襲われる』→『集団パニック/ヒステリーの完成』
集団パニックは主に子どもや若い女性にごく稀にみられる現象との事。
霊の仕業だとは思わないが、興味深い話である。
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