
『青木ヶ原樹海と言えば?』と尋ねられると、多くの方が「自殺の名所」というイメージを連想するかもしれません。実際には自殺が多発してきた場所ですが、一体いつからそのようなイメージが定着したのでしょうか。
1926年(大正15)に発行された『生ける風景』には、「明るいけど極めて寂しい」「立枯した木の枝にさるをがせの引掛つてゐるなど、凄惨の気が漂つてゐるやうだ」と記されています。しかし、その一方で以下のような記述も続いています。
けれども青木ヶ原は恐ろしい森林でも、凄い森林でもない。
一つは日をかくす針葉樹の大木がないせゐもあらう。
木も草も青青として誠に青木ヶ原の名に背かない。
河井酔茗 著 『生ける風景 青木ヶ原より』から引用
これは青木ヶ原の豊かな自然に対する畏怖や感銘を表現したものであり、現在の私たちが感じる「死」のイメージとは遠くかけ離れたものです。

また、1927年(昭和2)に発行された書籍でも次のように紹介されています。
近年まで全く人間未踏の神秘境で狐狸怪鳥の樂天地であつたが、今は自動車の警笛に虫の鳴く音を驚かすやうになつた。
此の青木ヶ原の森林は岳麓一帶のものと共に御料林であつたが明治四十四年に山梨縣へ御下賜になつたもので縣は此の無盡の寶庫を經營して利用厚生の手段に充つると共に、岳麓風致の天然美を發揚せんが爲めに努力して居る。
弘田直衛 著『快馬嘶く富士裾野の一周』より引用
1911年(明治44)以前の青木ヶ原は皇室の所有する「御料林」でした。
引用文から「自然豊かな樹海を賜り、人々の幸福と観光・自然保護のために活かそうと努力している」という、将来への希望に満ちた様子が伺えます。
昭和初期に見られる自殺記事

かつては明るい希望とともに語られていた青木ヶ原樹海ですが、昭和初期の新聞記事を調べてみると、少しずつ自殺に関する報道が見られるようになります。
1928年(昭和3)3月29日の読売新聞朝刊には、
東京高等学校のK教授の愛人・Yの遺体が青木ヶ原樹海で発見される。
そこから約6km先にある上九一色村の阿難坂で年齢30歳位の男性の凍死体が見つかった。遺体はK教授だと判明。
K教授は愛人Yの死後、2度にわたる自殺未遂を経て力尽きたと見られている。
事件の背景は描写されていなかったので詳細は不明であるが、無理心中だろうか。

また、1938年(昭和13)6月8日、読売新聞夕刊。『文学少年岳麓へ自殺行』の見出し。
東京第一高等無線工科学校の学生I(19歳)が富士岳麓吉田署に救助を求めた。
文学にのめり込み厭世思想に感化された学生が自殺を決意して河口湖へ投身しようとしたが、果たせなかった。
旅費がなくなったので救助を求めたとある。
(※河口湖は樹海から離れていますが、同じ富士山麓の事例として挙げられます)

さらに時代が進んだ1978年(昭和53)8月30日の読売新聞夕刊。
『”樹海の自殺”こう多くては 富士・青木ヶ原に共同墓地を』の見出しに、
富士吉田署が収容した自殺体。
1975年・・・33体
1976年・・・38体
1977年・・・32体自殺未遂の保護
1975年・・・25人
1976年・・・21人
1977年・・・28人身元不明の遺体取扱数が全国の警察署の中でTOP。
とある。
松本清張『波の塔』の影響

身元不明の遺体(行旅死亡人)が発生した場合、法律に基づき発見場所の自治体が埋葬や火葬を行わなければなりません。
第七条 行旅死亡人アルトキハ其ノ所在地市町村ハ其ノ状況相貌遺留物件其ノ他本人ノ認識ニ必要ナル事項ヲ記録シタル後其ノ死体ノ埋葬又ハ火葬ヲ為スベシ
墓地若ハ火葬場ノ管理者ハ本条ノ埋葬又ハ火葬ヲ拒ムコトヲ得ス
行旅病人及行旅死亡人取扱法(明治三十二年法律第九十三号)
当時、青木ヶ原樹海は上九一色村・足和田村・鳴沢村の3村に跨っていました。抱える面積が最も広かった上九一色村では、自殺者を見越して遺体処理費用を予算に組んでいたといいます。
何より困ったのが埋葬地の確保。他所からやって来る招かざる客のために資金と人材を投入し、さらに土地まで用意しなければなりませんでした。
3村は県に対して共同墓地造設の陳情書を提出します。これの最後に興味深い記述があります。
富士吉田署の統計で、青木ヶ原樹海での自殺者が1960年後半(昭和35)から急に増えだしたことがわかる。
この年に松本清張の『波の塔』が出版された。小説はヒロインが樹海に消えていくシーンで幕を閉じる。『人知れぬ死』を求め志願者たちは樹海に導かれていく。
引用NGなので文体を所どころ変えましたが、おおむねこのようなことが書かれていました。「樹海=自殺の名所」というイメージの根源は、この作品の影響が大きいと考えられています。
メディア報道と情報の拡散

1993年(平成5)には、自殺をテーマにした書籍『完全自殺マニュアル』が出版され、大きな社会現象となりました。同年のNHKニュースなどでも、同書の中で樹海が取り上げられていることについて言及されています。
その後、テレビや新聞、そしてインターネットやSNSの普及に伴い、「樹海=自殺の名所」という情報が急速に拡散・定着していきました。
終わりに

日本の年間自殺者は1998年(平成10)に3万人を超え、2003年(平成15)の34,427人をピークに減少傾向となり、2019年(令和1)には約2万人まで減少しました。
山梨県全体の年間自殺者数自体は多くありませんが、自殺死亡率(人口10万人当たりの自殺者数)は全国的に見ても高い水準となっており、県外から樹海を訪れる方が数値を押し上げていると考えられています。
こうした状況を受け、2012年(平成24)に山梨県はイメージ刷新と自殺防止のため、樹海内での自殺を連想させるような映画やテレビの撮影許可を出さない方針を決定しました。
地元の地道なパトロールや自殺防止運動により成果も出ていますが、長年にわたって作られてしまったネガティブなイメージを完全に払拭するには、まだ時間がかかりそうです。







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