神奈川県藤沢市の沖に浮かぶ江の島へ。
本土から江の島大橋を渡り、賑わう土産屋を眺めつつ歩みを進めると江島神社への参道が続く。
江島神社は宗像三女神が祀られる由緒正しき神社で、辺津宮・中津宮・奥津宮に御座す水の女神たちは島や近海の安全を暖かく見守っている。
歴史の中で彼女らは仏教と結びつき弁才天としても信仰された。
江の島は日本三大弁才天の一つです!
お金、幸福、芸術、芸能などのご利益があるらしいから、それらに関係する悩みがあるなら参拝に行くと良いことあるかもね。
奥津宮を越え更に路を進むと、やがて海が開けてきた。
今回の目的地、稚児ヶ淵だ。
稚児ヶ淵の悲話
むかし、建長寺に自休という僧侶がいた。
信心深い彼が江の島へ百日参詣をしていると、相承院の白菊という稚児に出会う。
白菊の姿に心を奪われた自休は、想いを告げようと近づくが、全く相手にされない。
熱い視線に耐えきれなくなった白菊は、夜陰にまぎれ江の島へ赴き、扇子に歌を書き残し船頭に伝えた。
『私を尋ねて来る人がいたらこれを見せて欲しい。』
思ひ入江の島とこたへよ、
捨る命はなみのしたくさ、
と詠って、白菊は淵に身を投げた。
この事を聞いた自休は呟く。
十有餘霜在刹那
花質紅顔碎岩石
娥眉翠黛委塵沙
衣襟唯濕千行涙
扇子空殘二首歌
相對無言愁思切
暮鐘爲孰促歸家
そして、
ともに入江の島ぞ嬉しき
と読み白菊を追って海へ飛び込んだと云う。
それ故にここは稚児ヶ淵と名付けられたとか。
終わりに
江の島には幽霊が出る、心霊写真が撮れるなどの噂があるらしい。
その根拠は不明であるが、それっぽい物語を発見したので今回紹介することにした。
この物語は1907年(明治40)に出版された【江のしま物語】で引用している【新編鎌倉志】を参考に執筆した。
【新編鎌倉志】の稚児ヶ淵についての末文が印象に残ったので孫引きして終わろうと思う。
雖然近頃に至るまで、多少此の種の意氣地ない者に汚された事がある、
よもや白菊の眞似ではあるまいが、詩的だなどと、血迷ふた語を吐いて、投身した弱虫かも知れない、
這麼人達はさぞ奈落の底で苦しんで居るだろう、什麼か華嚴や淺間のやうな自殺流行場としたくない、何時迄も永く白菊の占有にしてやり度い、
江のしま物語 119頁(稚児ヶ淵)『新編鎌倉志に、』より引用
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