横浜市の根岸にある白滝不動の滝。
かつては高さ20m、幅5mを誇る二段の瀑布であったが、土地の開発により水源の殆どが失われ一筋の落水のみが残る。
かつてここには二宇のお堂があり、それぞれ白滝不動堂、荒沢不動堂と呼ばれていた。
それぞれ以下のような伝説が残っている。
・白滝不動尊
戦国時代末期、根岸の里に外記という住民がいた。
ある年、大洪水に見舞われ外記の屋敷は土砂に埋まってしまった。どうにか土砂を取り除こうと必死になって掘り進めていると井戸のような穴を見つける。中を覗いてみると後光を放つ仏像が埋もれているではないか。
こんなところに置いておくのも罰当たりだと思い、外記は自宅の仏間に置くことにした。不思議な事に毎夜毎夜仏像は怪しい光を放ち続けたそうだ。『これは家に置いておくべきではない』と近くの寺に預ける事にした。
寺でも同じ現象が起きたため、住職は『元の場所に帰りたいのでは?』と外記を連れて仏像を戻しに赴いた。するとそこに岩屋があったので、岩屋に仏像を納め、法要を営んだ。それからは一切怪しい光を放たなくなった。
それから数年後の或る日、外記が仏像を見つけた井戸のような穴から澄み切った水が大量に湧き出して滝のように崖から流れ落ちた。その夜、外記の夢に『私は不動明王です』と仏のお告げがあったので、岩屋の脇にお堂を建てて不動尊を安置したと云う。
・荒沢不動尊
時は鎌倉時代。
この不動尊を背負って諸国を巡っていた修行者が根岸の里に通りかかった。歩き疲れた修行者はこの丘で腰を下ろしひと休みをした。『そろそろ行こうか』と立ち上がろうとすると不動尊が重くなってびくともしない。
『どうやらお不動様は、この地を気に入られたようだな』と修行者は里の住人に協力を仰ぎ、小さなお堂を建てて本尊として祀ったと云う。
大正年間の大地震で二宇ともに全壊してしまったが、どういうわけか周辺の村人の住居は一切倒壊しなかった。住民は『両不動尊がお守り下さった!』と一丸となり立派な一宇のお堂を建て直し、そこに白滝不動尊と荒沢不動尊を安置した。
不動堂と外国人遊歩道
出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1944/10/14(昭19)撮影)
白滝不動堂の境内は高台にあるので昔は海岸沿いがよく見渡せたそうだ。海岸が埋立てられ工業地帯となった現在からは想像もつかない景色が広がっていたに違いない。
不動下の通りには明治時代の中頃まで宿屋や食事処が立ち並び多くの人々で賑わったと云う。これは不動尊が多くの人々の信仰を集めたのと、参道入口に面する道の成り立ちが関係している。
江戸時代末期、諸外国から要請を受けた幕府は在留外国人のための道を敷設した。これを外国人遊歩道と呼んだ。不安定な情勢の中、異国民が安全に運動や娯楽が行えるように整備したのである。不動下の通りは外国人遊歩道の一部であった。
白滝不動尊と幽霊
心霊スポットを紹介する幾つかのサイトに白滝不動尊のことが書かれていた。
平成十六年度版「関東怨念地図」の体験談によれば、滝の岩肌から黒い影が現れたという。
全国心霊スポットMAPより引用
どうやら関東怨念地図という雑誌に心霊スポットとして掲載されていたようだ。掲載以前から噂があったのか、それともこれがきっかけで噂が立ったのかは判然としない。残念ながらこの他に白滝不動尊と幽霊を結び付ける情報は無かった。
情報が無さ過ぎて困ってしまいます…。
不動明王と滝行が密接な関係にあることを理由に『荒行で修験者が命を落として云々』なんて噂のある心霊スポットも存在するようだけど、ここはどうなんだろう?
終わりに
不動尊の伝説を信じればここは聖域である。
私は神様や幽霊を見たり感じたりする特異な能力を持ち合わせていないので、なんとも言えないのだが、神的な現象を幽霊と見間違えただけなのではないだろうか?
確かに聖域と心霊スポットは紙一重なところがあるように思う。ここもそういう場所なのかもしれない。
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