東京都足立区の都立・舎人公園。
緑豊かな約65ヘクタール(令和4年時点)の大規模公園である。これは東京ドーム13~14個分の敷地とのこと。
園内には野球場(2面)、テニスコート(14面)、陸上競技場、キャンプ場、BBQ場、ドッグラン、遊具施設『冒険の丘』など様々な施設が運営されている。休日ともなると家族連れやスポーツで汗を流す方々で大いに賑わう。
舎人公園へのアクセス
日暮里・舎人ライナーの舎人公園駅が最寄駅。というか公園内に駅がある。
東武スカイツリーラインの竹ノ塚駅や西新井駅からもバスが出ているようだ。
有料ではあるが、大きな駐車場が3ヶ所あるので、自家用車の訪問も可能。
舎人公園について
舎人には以下の意味がある。
1 古代、天皇・皇族の身辺で御用を勤めた者。
2 律令制で、皇族や貴族に仕え、護衛・雑用に従事した下級官人。内舎人 (うどねり) ・大舎人・東宮舎人・中宮舎人などがあり、貴族・下級官人の子弟などから選任した。
3 牛車 (ぎっしゃ) の牛飼いや乗馬の口取り。
4 旧宮内省式部職の判任名誉官。式典に関する雑務に当たった。
デジタル大辞泉(小学館)より引用
地名としての舎人の由来は以下のような説が考えられている。
・天武天皇の第六皇子である舎人親王に関係する。
・聖徳太子に関係している。
・土地の特徴を表した方言から生まれた。
・地域を支配していた舎人氏に由来する。
舎人公園の歴史
舎人公園の位置を古地図を確認すると、開発以前は一帯に田畑が広がっていたことが分かった。
開発のきっかけは戦前の大日本帝国によって練られた防空大緑地計画にある。
防空大緑地計画は1940年(昭和15)、紀元二千六百年奉祝事業として『都市の空襲被害の軽減。市民の保健衛生に役立てる』を目的で計画された。
舎人公園の他に世田谷区の砧公園、葛飾区の水元公園、小金井市の小金井公園などもこの緑地計画から始まっている。これらの公園は戦中になると軍事目的で利用されたり耕作地として開墾されたりもした。
敗戦後、大緑地は農地解放の対象となったため東京都は50%以上の用地手放している。1956年(昭和31)に都市公園法が制定された後、東京都は元緑地を公園用地として少しずつ買収を行い整備していった。
舎人公園は1981年(昭和56)に一般公開され現在に至る。
舎人公園で起きた事件
舎人公園には心霊スポットの噂が流れている。これまで公園の過去を振り返って来たが、その歴史に原因はなさそうである。では造園されてから根拠となる事故や事件が起こったのだろうか?
そこでオカルト界隈の情報をネットで調べてみた。殆どのサイトで遺体バラバラ殺人事件、木刀撲殺殺人事件、首なし遺体発見事件が発生した公園だと紹介されている。過去の新聞を調べてみるとこれらに該当すると思われる事件の記事を発見した。
ひとつひとつ見ていこう。
・遺体バラバラ殺人事件
1990年(平成2)、公園造成地内でバラバラに解体された女性の遺体が土中より発見。犯人は女性が勤務していた縫製会社の社長であった。会社の退職にまつわるトラブルが殺害の動機だったようだ。
・木刀撲殺殺人事件
1992年(平成4)、公園内で起きた乱闘事件で高校生が刃物で胸を刺され死亡した。木刀撲殺殺人事件と呼ばれているのは被害者側が持参した武器が木刀2本だったからだと思われる。
・首なし遺体発見事件
1996年(平成8)、東京都足立区の駐車場で首なしの女性の焼死体が発見された。殺害現場や発見現場は舎人公園ではない。被害者の女性は舎人公園で暮らすホームレスで、公園の清掃員をしていた犯人が女性に好意を抱いたことから始まった。二人の仲は同棲するまでに発展したが、裏切られたと感じた犯人が女性の殺害に及んだ。また事件後に犯人が女児を誘拐して舎人公園で姦淫を企てている。これらのことから事件が舎人公園と結び付けられているのだろう。
以上である。
オカルトサイトってコピペが多いよね…。
間違った情報が延々と語り継がれている感じ。
まぁ、いちいち調べるのは大変ですからね。
終わりに
詳細は割愛するけれど、この他にも公園内で殺人などの事件が発生している。
幽霊が出るかどうかは別として心霊スポットとしての根拠は充分にありそうだ。
これだけ見ると舎人公園及び周辺の治安を心配される方がいらっしゃるかもしれない。
それに関してはご安心していただきたい。
現在、舎人公園が位置する足立区は警視庁や自治体の努力により犯罪発生率が低下していて、東京23区のなかでも上位に入る治安の良さになっている。
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