
新潟県南魚沼市に位置する「わらび野トンネル」。
竣工は1985年(昭和60年)で、延長190m、幅6.5m、高さ4.7mのトンネルです。
1992年(平成4年)に竣工した「三国川ダム(さぐりがわだむ)」の建設に伴い開通した道路の一部だと思われます。このトンネルには3つの坑口が設けられており、そのうち1つはトンネルの途中で分岐し、三国川ダムの天端(てんば)へと続いています。
対岸に駐車場があるため、「わらび野トンネル」周辺を見学したい方はそこに車を停めて、ダムの天端を歩いて向かうのがおすすめです。
ダムの直下には野外ステージやキャンプ場があり、季節によっては多くの人で賑わいます。かつては露天風呂もありましたが、残念ながら現在は閉鎖されています。
さて、今回はこの「わらび野トンネル」にまつわる、過去の悲惨な事件と噂について触れていきます。
トンネル内で起きた事件の概要

2000年(平成12年)5月22日早朝。
わらび野トンネル内で16歳の少年2名が灯油をかけられ、うち1名は逃走に成功したものの、もう1名は着衣に火をつけられ焼死するという痛ましい事件が起きました。直接の死因は、火傷によるショック、もしくは酸素欠乏による窒息とされています。
事件に関与したとして、以下の犯人グループ3名が逮捕されました。
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A(当時34歳): 元暴力団員(指示役)
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B(当時31歳): 暴力団員(実行役)
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C(当時29歳): 無職(実行役)
事件の背景にあるトラブル

この事件は、女性を巡る人間関係のトラブルから発展したものでした。
主犯とされるAは、知人から「娘に変な虫がつかないように注意してほしい」とお願いされていました。知人家族と交流を重ねうちに、Aはその娘に好意を寄せるようになっていました。しかし、娘に恋愛感情はありませんでした。
Aはラーメン店を経営しており、そこに被害者がアルバイトとして入社しました。2人は親交を深め、お互いに信頼しあう仲になったといいます。
その後、被害者と娘が知り合い、やがて交際に発展しました。それを知ったAは激怒し、被害者に対して交際をやめるよう厳重に注意しました。しかし、2人はこっそりと交際を再開してしまいます。
再び交際を知ったAは、Bに対して暴行や脅迫の指示を出しました。指示を受けたBとCは被害者らを車に乗せて暴行を加えながら「わらび野トンネル」へと向かい、凶行に及びました。
犯行当日の午後、Aは知人に電話で「俺たち流のけじめのつけ方をしました」と語っていたとされています。
裁判の経緯と判決

殺人などの罪に問われた3名に対し、2001年(平成13年)3月28日の判決公判では以下の実刑判決が言い渡されました。
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A: 懲役13年
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B: 懲役18年
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C: 懲役15年
その後、A側が控訴し、2002年(平成14年)4月24日の控訴審では一審の判決が破棄されます。
「暴力の指示は出したものの、殺害までは命じておらず、未必の故意までは認められない」として、殺人罪から傷害致死罪へと変更され、懲役8年の判決が下りました。
終わりに

三国川ダムの周辺には、ダム建設中に殉職された方々を弔うための慰霊碑が建立されています。
オカルト界隈では「慰霊碑がある場所=心霊スポット」と結びつけられがちなので、もしかするとこの周辺には、焼殺事件が起きる以前のダム建設時やそれ以前から、何らかのいわくや噂が存在していたのかもしれません。
いずれにせよ、2000年に起きた事件があまりにも衝撃的で凄惨なものであったため、のちにその記憶と結びつく形で「わらび野トンネルの心霊の噂」として強く固定化されてしまったのではないかと推考できます。
現地を訪れる機会がある場合は、好奇心本位にとどめるのではなく、実際の歴史や背景に思いを馳せ、節度ある行動を心がけたいものです。




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