榛名神社の参道途中にひっそりと佇む鳥居。ここが秋葉神社の入口です。
鳥居から少し登ったところに石祠があります。さらに道は山へ続いているので登山go!
秋葉神社とは?
少し登ると6基の石祠が。
秋葉神社は火之迦具土神(カグツチ)を主祭神とする神社で日本各地に点在しています。明治期の神仏分離令が出されるまでは秋葉大明神という火伏(火消し)の神様が御祭神だったようです。石の祠しかない理由は『燃えにくい=火伏』ということを知ったとき『なるほどなぁ~』と感心した次第で御座います。
石祠の裏にまだ道のようなものがうっすら残っている気がしたので進んでみます。
さらに10分くらい登ると岩塊の上に石祠発見。
『ここが最後だろう』と引き返そうと考えたのですが、なんかまだ行ける気がする……。
両サイドが崖っぷちな尾根道なので落ちたら『さようなら』という危険な状況ですが、まだ何かある気がする。もしかしたら榛名神社の社殿を真上から見れるとか期待しながら道なき道を進みます。
やっぱりなんかありました。これが秋葉神社最奥の石祠です。
あと石碑っぽいものが2基ありました。
帰宅してから調べてみてわかったことですが、どうやらここは榛名山城という小規模な城(砦)があったみたいです。
293 滝の平城
榛名町榛名山の、榛名神社背面の尾根を城山と呼ぶ。これが滝の平城で、幅数mの細尾根を利用しているため一条の堀切もないが、側面が急峻で、堅固な山城である。
秋葉山の石碑数個が見られる。
長さ一五〇mの幅狭い峰を詰の郭としているが、その南北両端と、北寄りの三ヶ所にやや広い部がある。東、六〇mの麓に下郭が見られるが、その幅は最大二〇m、南北一二〇mにわたり五段に築かれている。下郭は江戸時代には榛名神社宿坊の敷地になっていたかも知れない。
追手は随神門の南の橋の部分であろう。
元中(至徳)三年(一三八六年)榛名の社人佐藤昌宣は小山若犬丸に応じて、三千の兵をあつめてこの城に立篭ったという。
榛名山城とも呼び、昌宣や若犬丸一統の子孫と伝える佐藤氏、小山氏がここに多い。
1972年(昭和47)発行 山崎一 著 群馬県古城塁址の研究 下巻より
↑の記事は茨城県笠間市にある難台山城の記事です。小山若犬丸について記述がありますので、気になる方は是非ご覧ください。
終わりに
2基の石祠から少し進むと、そびえたつ岩塊の上部に出ます。

榛名神社の真上くらいかな?
あまりの高さに思い出しただけで足がガクブルします……。
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