戦国時代の群馬県は武田・上杉・後北条といった大大名に囲まれていたため頻繁に戦が起こった。
故に多くの古戦場跡が残っており、詳しく調べると武田信玄や上杉謙信など超有名武将の名前が出てきて歴史好きには堪らない。
今回、紹介する八幡平の首塚は西群馬の歴史に関する重要な史跡である。
この周辺は合戦の舞台となった。
ここは心霊スポットとして有名な場所である。
どのような歴史があるのか振り返ってみよう。
八幡平の首塚の歴史
1561年(永禄4)、上州の黄班の二つ名を持つ猛将・長野業正が亡くなると、武田信玄は本格的な上野侵攻を開始する。
信玄は手始めに西上野の国峰城(甘楽町小幡)を攻略し、そこを拠点に安中方面への侵攻を始める。
武田軍は松井田城と安中城を分断するため両城の間にある八幡平に陣を置いた。
安中城、松井田城を治めていた安中氏は抵抗したが、信玄率いる屈強な軍隊に押され止む無く降伏。
こうして安中一帯は武田氏の支配下に置かることになる。
西上野侵攻により戦死した両軍の兵士らを弔うためにこの供養塔が建てられたと云う。
合戦が起きれば人が死ぬのは当たり前であるし、同じような供養塔は各地に点在している。
では何故、心霊スポットとしてここまで有名になってしまったのか?
1931年(昭和6)3月。
お墓参りに連れてこられた小学生。
暇だったのか、お墓の近くで土遊びを始めたそうだ。
やがて、『とある物』を掘り当てた。
人間の頭蓋骨である。
親に『なにこれ~?』みたいな感じで見せたのだろうか?
これを切っ掛けに本格的な発掘調査が行われた。
結果、なんと!150つの人間の頭蓋骨が掘り出されたのである!
頭蓋骨は四肢が無く下顎が外されていることから、別のところから運び、弔ったのではないかと云われている。
骨には1783年(天明3)の浅間山大噴火によって降り注いだ火山灰が掛かっていたことから、まとめて埋葬されていた骨を江戸時代中期の民衆が発見し、ここに改葬した可能性もあるらしい。
骨は中世の日本人の特徴を示していて、刺創が見つかったことから戦死者ものだと推定されている。
恐らく、安中を巡る合戦で戦死した亡骸を里の人らが埋葬したのだろう。
終わりに

最初に発見した小学生は怖かったでしょうね…。

小学生よりも、それを見せつけられた親の方がビビったんじゃないかな?

絶対行っちゃいけない!と言われている心霊スポットだけど、付近には住宅があって、不気味な感じはなかったです!
夜は知らん…。
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