斬首と切腹。心霊スポット伝馬町牢屋敷跡とは【東京の旅】

伝馬町牢屋敷は江戸時代に多くの罪人の首を刎ねた牢獄についてです。こういう場所は心霊スポットとして有名になってしまいますね。では現在の様子はどんな感じなのか見ていきましょう。

当記事は心霊スポットについての記事です。内容が処刑場のことなのでグロテスクな表現が一部あります。苦手な方はブラウザバックをおすすめします。

 

江戸プリズン 伝馬町牢屋敷

2015-12-12 15.55.16伝馬町牢屋敷は江戸時代前半から明治8年まで存在した牢獄。現在の大安楽寺、身延別院、村雲別院、旧十思小学校、十思公園を含む一帯が伝馬町牢屋敷でした。

約2.4mの塀で囲まれ、身分の高い武士や僧侶に揚座敷、武士と僧侶や女性は揚屋(女性は女牢とも呼ばれる)、平民に大牢、百姓には百姓牢といった具合に身分によって牢舎がわけられていました。 

大牢は普通の囚人と凶悪な囚人が入り乱れた状態だったので、かなり治安が悪かったそうです。もともと百姓も大牢に入っていましたが場慣れした囚人にいじめられたり、影響を受けてにワルになるのを防ぐため百姓牢が特設されました。

 

江戸伝馬町処刑場跡

2015-12-12 15.54.35赤字はちょっと怖いよ…。 伝馬町牢屋敷は犯罪者が判決を待つ、今でいう拘置所でした。昔の裁判なんて町奉行の気分次第でしょ?って思っていたのですが、どうやらしっかりと管理された裁判が行われていたようです。

拷問する=ダメ町奉行という風潮もあったそう。能力のある町奉行なら言葉だけで上手に白状させるべきということですね。死刑も泰平の世にそぐわないということで出来ればしたくなかったとか。

伝馬町牢屋敷では主に斬首が行われていました。あと身分がそれほど高くない武士などの切腹もしていたみたいです。切腹は武士最期の誇りっていわれるけど『斬首でいいよ…。』って内心思った人いたでしょうね。

火炙りとか磔、水責めはこちら→【斬って磔、燃やされる鈴ヶ森刑場 編】 

 

首の皮一枚と土壇場の語源

ところで斬首から生まれた有名な言葉があるの知ってますか? それは『首の皮一枚』と『土壇場』です。

首の皮一枚は斬首の際、首が落ちて傷つかないようにと配慮された神業が語源。現在では『ギリギリ大丈夫だった』的な意味でよく使われていますね。
土壇場は斬首の際に切りやすいように作った土の壇(盛り上げたところ)が語源。進退きわまった状況のことをいいます。

 

吉田松陰最期の地

2015-12-12 15.58.40『身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂』の碑。

幕末の時代に起きた安政の大獄で多くの志士が打ち首になっています。

 

時の鐘と死の鐘

2015-12-12 16.04.39時の鐘としても突かれていましたが、死刑執行のときにも突かれていたそうです。鳴るはずの鐘が鳴らないときがあったみたいで、死刑囚は『今日は大丈夫だった・・・。』と安堵したことから一名情けの鐘とも言い伝えられています。

 

終わりに

仕置き場(処刑場)について記事を書くと内容が重くて『ずしーん』と心にきますけど勉強になります。多くの方が絶望のまま処された場所なので心霊スポットになってしまうのは必然かもしれませんね。

当ブログ内の心霊スポットランキングを作成しましたので興味がある方はご観覧下さい。なおこの記事は適宜更新いたします↓

旅のまとめ【心霊スポットランキングベスト10 編】 

おしまい!



江戸伝馬町処刑場跡

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いちちと申します。 休日の殆どを一人旅に費やしています。いつか流浪の民になって日本中を周って過ごしたい。歴史、B級スポット、心霊スポットのネタが多めな旅行記ブログです。 コメント待ってるよー!