『て』
天下の義人・茂左衛門!
子供の頃から『上毛かるた』の特訓を強いられる群馬県民。
『上毛かるた』には群馬の偉人たちが数名登場する。
例えば『れ・歴史に名高い新田義貞』や『ほ・誇る文豪田山花袋』辺りが全国的にも有名だろうか?
さて本題、今回紹介するのは『て・天下の義人・茂左衛門』。
恥ずかしながら、今回調べるまで何をした人物なのか知らなかった。
みなかみ町月夜野の茂左衛門地蔵尊・千日堂に入ってきたので、茂左衛門の人生と共にその風景を紹介しよう。
茂左衛門について
杉木茂左衛門は17世紀半ばから後半を生きた沼田藩領の農民である。
当時、沼田藩は強烈な悪政を敷いたことで有名な真田信利が治めていた。
民衆は餓死者が出る程の重税を課せられ大変苦労したと云う。
苦しむ民衆に見兼ねた杉木茂左衛門は立ち上がった。
茂左衛門は江戸へ向かい幕府の重役に直訴するが、門前払いにされてしまう。
直接訴えるのが難しいと判断した彼は頭をフル回転させ一策を講じた。
上野輪王寺(寛永寺)の文箱に似せた箱を作り、これに直訴文を入れ、茶屋にわざと置いておく作戦である。
上野輪王寺(寛永寺)は幕府と密接な関係があった。
文箱に入った手紙を見た茶屋の主人は『幕府関連の重要な文かもしれない。』と住職に相談。
受け取った住職は直訴文の内容に驚愕し、幕府へ提出。
5代将軍・徳川綱吉は直訴文を受け、沼田藩に使者を派遣し内情を探った。
真田信利の悪行が次々と発覚したため、真田沼田藩は改易になる。
こうして沼田に平和が訪れた。
で終わらなかった。
当時、将軍への直訴は重罪で、磔刑に処されるという掟があった。
磔刑は脇の下辺りから槍で数回串刺しにする処刑法である。
庶民の英雄となった茂左衛門。最後は捕縛され、殺されてしまった。
民衆らは茂左衛門の死を悼み、処刑跡に地蔵尊を安置して供養したと云う。
終わりに
自らの命を顧みず多くの人々を救った茂左衛門。
『天下の義人・茂左衛門』
彼の名は後世まで語り継がれている。
心霊スポットを扱うサイトが紹介していたので、便乗したけど…。ここは心霊スポットじゃないと思うよ。時間があったら↓も見てね!
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