幽霊坂と呼ばれる宝竜寺坂の歴史について。由来となった宝竜寺の真偽に迫る!

宝竜寺坂

新宿区市谷柳町と弁天町の境に位置する宝竜寺坂。

名称の由来が現地案内板にあったので以下に引用する。

昔、この辺りは七軒寺町という寺町で、この坂の上に宝竜寺という寺があったためこう呼ばれた。

また明治頃、寺の樹木が繁り、淋しい坂であり、幽霊が出るといわれたため、幽霊坂とも呼ばれた。

現地案内板より

という訳で当然の如く心霊スポットの噂がある。

このような名前が付けられているのだから、歴史に認められた心霊スポットと言ってもいいのかもしれない。

れい
れい

今も昔も、みんな幽霊が好きね!

 

宝竜寺の存在について

宝竜寺坂

市ヶ谷牛込絵図(1849-1862刊)を切り抜き引用

江戸時代後期の古地図から宝竜寺の存在を確かめようとしたのだが…。

現在まで残る緑雲寺と宗円寺から凡その位置は特定出来た。

“七軒寺町”の名前も見えるのでここで間違いは無いはずだ。

しかし、宝竜寺は見当たらない。

ネット上に『宝竜寺=鳳林寺』或いは『標柱の説明が誤謬である』という情報もあったが、どうなのだろうか?

真偽が余りにも気になったので、勇気を出して『とある組織』に問い合わせてみると、予想を遥かに超えた素晴らしい回答を頂けた。

流石に全文引用は出来かねるので、箇条書きにして纒めて見ようと思う。

・鳳林寺と宝竜寺は独立して存在していたであろう。
・『御府内寺社備考』に宝龍寺(牛込七軒町)の記載あり、600坪の敷地であった。北に鳳林寺、西に仏性寺の位置に存する。
・『新修 新宿区町名誌』によると1635年(寛永12)に牛込御門外御堀端付近辺から移ったとある。
・『新宿区史』では宝竜寺廃転不明となっている。
・1857年(安政4)の市ヶ谷牛込絵図(上の引用地図)には載っていないが、1856年(安政3)『新宿文化絵図』附録重ね地図の古地図には宝竜寺の記載あり。
・1907年(明治40)の地図にあって、1922年(大正11)の地図には無い。
いちのまる
いちのまる

プ…プロはやっぱ違うね…。
この情報を受け取ったとき、心が揺さぶられたよ!

頂いた情報と市ヶ谷牛込絵図を照らし合わせると法輪寺と宝竜寺が重なっているように見えた。

ほぼ間違いなく実在した寺であるけれども、絵図に載っていたり無かったり、何だか不思議な寺である。

『新宿文化絵図』を購入したので、届いたらまた追記するつもりだ。

 

終わりに

宝竜寺坂

古地図を見ると”七軒寺町”は根来百人組や御先手組の敷地に挟まれていることが分かる。

彼らは有事の際に鉄砲や弓を携え戦う部隊であった。

太平の世が築かれてからの御先手組は江戸の治安維持に務めていたが、武闘派だったため割と乱暴な取り締まりをしていたらしく民衆に恐れられていたと云う。

完全な憶測ではあるけれど、あまり人が寄り付かない場所だったのかもしれない。

ゆう
ゆう

軍隊の駐屯地に、安易に近づきたくないかもね。

コメント

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