淀橋は成子宿と中野村の間に架す大小二橋あり橋の傍に有名の水車あり
此橋は昔徳川將軍放鷹の節此地に到り山城の淀に擬して淀橋と唱ふべき旨命ぜられしかば夫より淀橋と名くる由
舊名は面影の橋又た姿見ずの橋などヽ呼べりと云ふ東京名所図絵 淀橋より
かつては”面影の橋”、”姿見ずの橋”と呼ばれていたらしい。
何と哀愁漂う名前であろうか。
昔、この辺りには鈴木九郎と云う大金持ちがいた。
九郎は財産を守るため、人を雇い地中深くに金銀財宝を埋めたのだが、猜疑心の塊であった彼は雇人を殺害し神田川へ投げ込んだ。
九郎と橋を渡った者が、再び戻ってくることが無かった故に”姿見ずの橋”と呼ばれるようになったと云う。
淀橋の由来
現地案内板より
三代将軍徳川家光が鷹狩りに赴いた際、橋の由来を聞き入れ『不吉な名前はよろしくない!改名すべきである!』と配下に言付け、山城国の淀川に雰囲気がどことなく似ていたので淀橋と命名された。
今でこそ淀橋の地名は無くなってしまったけれど、明治時代には淀橋町、昭和初期の東京35区の内に淀橋区が存在していた。
また以外なところに淀橋の名は引き継がれている。
終わりに
1960年(昭和35)、渋谷に藤沢写真商会を創業した藤沢昭和さんが、西新宿に淀橋写真商会を設立した。
カメラの販売を主としており『淀橋のカメラ屋さん』とお客に呼ばれていたため、そう名付けたと云う。
後の世のヨドバシカメラの始まりである。
時代が流れるにつれ、由緒ある地名が消えゆくのは残念な心持ちになるけれど、このように企業を通じて歴史を感ぜられるのも、また一興ではないかと思う。
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