あけぼのばし通り商店街の路地にひっそりと念仏坂!むかし念仏を唱えながら通る人がいたらしいけど…。

念仏坂

東京都には幽霊坂と呼ばれる坂が幾つか点在しており、粗方かつて寺院や墓地、刑場跡が脇にあったことを由来としている。

名称は異なるが、新宿区曙橋の念仏坂にも似たような由来があると聞き、どんな場所か確かめるため赴いた。

心霊スポットとして知られる念仏坂には、果たして如何様な曰くがあるのだろうか?

 

念仏坂に訪れて

念仏坂

現地の案内板によると、

『新撰東京名所図会』では、昔この坂に老僧がいて昼夜念仏を唱えていたことにちなむという。

また、この坂は左右を谷に臨み、屈曲しており危険だったので、仏名を念じて往来する人がいたことにちなむともいう。

念仏坂 現地案内板より

とある。

他にも市谷監獄が坂の上から見えたため、念仏を唱える者がいたと云う説もあるようだ。

いちのまる
いちのまる

市谷監獄に纏わる観音様にも参拝してきましたので、直に紹介する予定です!

念仏坂と処刑場

念仏坂

重松一義 氏の『大江戸暗黒街 八百八町の犯罪と刑罰』に念仏坂についての記述がある。

また、新宿区富久町四-五の自証院(通称瘤寺)のあたりも古くは刑場があったといわれる。

ここはラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が『怪談』を著しているごとく、森深く辺鄙な所で、刑場はこの自証院と隣の安養寺の間にある念仏坂あたりを指すものと考えられ、私が、若い頃に調査したが、現地の古老からもそのような伝えがあると聞いている。

地形的にみても窪地であり、念仏坂を下り切ったところが市ヶ谷谷という陰湿な谷底である。

大江戸暗黒街 八百八町の犯罪と刑罰より

1931年(昭和6)生まれの重松一義 氏が述べる”若い頃に調査した”とはいつの話なのだろうか。

調査したのが昭和中期であるならば、”現地の古老”とは幕末~明治時代に生を受けた方だと考えるべきであろう。

筆者はこのような書籍を執筆するくらいであるから市谷監獄の存在は知っていたに違いない。

始めこの記述を読んで私は市谷監獄を思い浮かべたけれども、文脈的に古老から聞き及んだ刑場の言い伝えを市谷監獄と結びつけるのは無理な気がする。

いちのまる
いちのまる

小泉八雲の怪談を読んでみましたけれど、念仏坂に該当する箇所は見つかりませんでした。

念仏坂

大久保絵図(1849~1862年刊)を切り抜き引用

念仏坂が描かれている古地図を見つけたので引用させて頂いた。

現在、坂下には『あけぼのばし通り商店街』、坂上は住宅街が建ち並んでいる。

いちのまる
いちのまる

当時と殆ど道が変わっていないわね!

灰色に塗ってある部分に”市ヶ谷 谷丁”と書かれているが、江戸時代にもお店が建ち並んでいたのだろうか。

少なくともこの時点で刑場は無さそうである。

 

終わりに

念仏坂

余りに普通な場所だったので、訪問時には『大した根拠も無くて深い内容の記事は書けないかもな…。』と予想していたけれども、念仏坂に関する幾つかの情報を発見でき満足した。

心霊スポットの噂が風聞される正確な根拠こそ見つからなかったが、そもそも曰く付きの噂など曖昧な場合が多いのであるから、これはこれで良しとしておこう。

坂の脇に残存する欄干跡が何とも良い雰囲気を創り出していた。

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