戦争に纏わる心霊の噂がある北区立神谷公園に行って来たが…。なんと、公園が無いではないか!!!

北区立神谷公園

公園が無い?!

どうやら、再開発によって目的の北区立神谷公園は撤去されてしまったらしい。

2024年(令和6)完成予定の建物名称は『(仮称)都の北学園』。
稲田小学校、神谷小学校、神谷中学校を統合した小中一貫校がここに建つ。

場所を間違えたかと思う程に景色が変わっていたので、暫く周囲を彷徨っていたのだが、公園の片隅にある曰くの根拠となっている石碑は無事発見することが出来た。

 

北区立神谷公園の石碑

北区立神谷公園

昭和二十年三月より同年八月までに神谷地区において空襲をうけ亡くなられた一般住民三百数十名の遺体がこの神谷公園内に仮埋葬されました
昭和二十六年他え改葬されましたが茲に終戦三十年をむかえ亡くなられた方々の霊をなぐさめるため有志の人が心をあわせて建立したものです
昭和五十年七月十日 神谷二丁目中町会 神谷中央通り親和会

大東亜戦争犠牲者 慰霊記念碑より

1887年(明治20)、丸の内に駐留していた工兵大隊が赤羽台(旧・王子区)に移転する事となり、それに伴って多くの軍事施設が建設され、1930年頃(昭和5)になると北区域は重化学工業を中心とする工業地帯に成長した。

そのような理由から軍都と称されていた当地区は、太平洋戦争末期になると当然の如く空襲の被害に曝されている。

総務省の”北区における戦災の状況(東京都)”によると『計12回の空襲があり、500人を超える死者を出した。』とある。

ご遺体は神谷公園に集められ当地の僧侶たちが霊を慰め仮埋葬をしたと云う。

 

終わりに

北区立神谷公園

公園は取り壊されてしまったけれど、戦争に纏わる石碑は撤去されずに残っていたので安心した。

このような記録は後世に伝え続けなければならないと思う。

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