麻布絵図(1849~1862年刊)を切り抜き引用
1703年(元禄16)、吉良上野介の館に討ち入りを果たし大名御預けの身となっていた赤穂四十七士の内10名が毛利甲斐守の屋敷庭先で切腹に処された。
忠臣蔵で知られる赤穂浪士は忠義の象徴として、事件当時から芸術家の創作対象となり、それらの潤色された派手な演出に民衆は引き込まれていたと云う。
戦後、一時的に禁止され衰えた事もあったが、忠臣蔵のブームは近年まで続いた。
しかし、この頃はかつて程の人気は無くなったような気がする。
研究が進み史実が見えてきた事情もあるだろうし、現代日本人が『忠義』や『仇討ち』の言葉にピンと来なくなった理由もあるだろう。

主人の為に命を投げ捨て仇討ちを果たす!現代人の心には響かないかもね。
赤穂事件については以下の記事で簡単に説明しているので、是非ご覧頂きたい。
毛利甲斐守屋敷跡に建つ六本木ヒルズ
毛利甲斐守屋敷跡には、森ビルが管理運営する商業施設・六本木ヒルズが建っている。
かつての毛利庭園の井戸水は大変清らかで1952年(昭和27)~1974年(昭和49)まで当地にはニッカウヰスキーの東京工場があり、ボトリングまで行っていたらしい。
現在、模擬庭園が設置されているが、史跡的な面白みに欠け、かつての面影は廃されてしまった。
六本木ヒルズが建設される以前には、大正年間に指定された『乃木大将誕生地』、昭和初期に指定された『毛利甲斐守邸跡』の旧跡が存在した。
また、冒頭で紹介した赤穂浪士10名の切腹に纏わる碑石もあったそうだ。
『六本木ヒルズは処刑場跡に建てられた』と云う噂の理由はここにあるのだろう。
以下に当ビルに関係する事故や事件を紹介する。

霊が事件を引き起こすのか?それとも、事件が霊を生み出すのでしょうか?
六本木ヒルズの回転ドア死亡事故
2004年(平成16)に発生した回転ドア死亡事件は六本木ヒルズの印象に影を落した。
大阪から母親と観光に来ていた当時6歳の男児が大型回転ドアに挟まれ亡くなった。
この事故が発生する以前にも同ビルでは回転ドアの事故が頻繁に起きていたが、本格的な対策は取られていなかったそうだ。
終わりに
2005年2月、六本木ヒルズのゴミ集積場で人間の胎児の遺体が発見された。
清掃員が分別をしていたところ、紙の手提げ袋に入ったガラス瓶(高さ13.5cm、直径9cm)の中に詰め込まれていたとの事。
司法解剖の結果、胎児は身長17.5cm、体重150gの男児で、腐敗、外傷は無く、無色の液体に浸かった状態であった。

幽霊云々よりも、こういうリアルな話の方が怖い…。
この事件の後日談は発見出来なかった。不可解な事件である…。
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