
日本の政治の中枢にある国会議事堂。
この辺りは多くの警官が常に見張っているので、写真を一枚撮るだけでも遠慮がちになってしまう。国会議事堂に心霊のうわさがあると聞いて訪れたのだが、常に見張られている感じで、何だか悪いことをしている気分になった。
さて、国会議事堂が心霊スポットと言われる理由は何なのか?
今回、それにまつわる話を過去の新聞からいくつか見つけたので紹介しようと思う。
国会議事堂へのアクセス
東京メトロの丸ノ内線、および千代田線・国会議事堂前駅の1番出口から徒歩3分の場所にある。
国会議事堂と8階ダンスホール

都市伝説で国会議事堂の8Fには進駐軍が使用したダンスホールがあり、現在は開かずの間になっているといううわさが存在する。
『ダンスホールで知り合った男性に恋心を抱いた女性が、実ることのない恋に絶望し8Fから飛び降り自殺をした』
実際にダンスホールとして利用されたのかは分からないが、仮にそのような事件が起きているならば、もう少し明瞭な情報が残っていてもいいだろう。

参院広報課はダンスホールとして進駐軍が使ったと確認できる資料はないとしています。(2007年中日新聞からの情報)
1960年(昭和35)8月5日の読売新聞に”国会塔”という題の興味深い記事が残っている。
その記事を要約すると、
地上65.45mの国会塔。
先端の航路用のランプを取り替えるときだけ衛視がここへ上る。
10名程の工事犠牲者、二・二六事件の野中大尉らのうめき声が聞こえるとか。(奇妙な物音は暖房の切り替えに伴う空気の振動音だったらしい)
敗戦後はアメリカ人が国会議事堂に自由に入り壁に落書きをしたらしく、中にはいかがわしい絵もあったとそうだ。
かなり昔から国会議事堂には心霊のうわさが流れていたことが分かる。
国会議事堂と事故
1931年(昭和6)11月20日の読売新聞に15歳の少年が仕事仲間を呼びに向かった帰り、足を踏み外して地下工事場に転落して死亡したとある。
この1件しか殉職者に関する記事は見つからなかったけれど、当時は現代ほど安全管理対策が行われていなかっただろうから、事故が多発していた可能性も考えられる。
国会議事堂の設立に関する書物を詳しく調べれば事実が判明するかもしれないので、時間に余裕があるときに探してみようかと思う。
国会議事堂とニ・二六事件
二・二六事件は1936年(昭和11)2月26日から2月29日にかけて起きた陸軍青年将校らのクーデター未遂事件である。
二・二六事件について紹介し始めると膨大な量になってしまうし、私の力量ではまとめ切れない可能性があるので、詳細は割愛する。
終盤の事。
反乱部隊の中心人物であった野中大尉は国会議事堂に布陣し討伐軍を迎え撃つ形となった。
説得により矛を交えることなく事件は収束したのだが、反乱の責任を取って野中大尉は陸相官邸で拳銃自殺した。
陸相官邸は現在の国会議事堂の敷地内にあったようだ。
終わりに
くだらない都市伝説の類の話だろうと高をくくっていたが、しっかりとした根拠のある心霊スポットで大変驚いた。緻密な調査を続けて行けば、さらなる発見も期待できるかも。
予約すれば国会議事堂内を見学できるみたいなので、いつか内部も覗いてみたいと思っている。





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