津久井湖は1965年(昭和40)に築造された城山ダムによって出来た人造湖である。
城山ダムは下流部の急激な人口増加に対応するための水源確保を目的に造られた。他には水力発電、洪水調節の役目も果たしている。
写真の対岸にある小高い山に津久井城と呼ばれる古城跡があり、そこを地域の人々は城山と呼んだ。
御林山。寶峯ト呼所謂相州津久井古城跡ナリ土人是ヲ城山ト稱ス。
新編相模国風土記稿 津久井縣卷之七より
城山について新編相模国風土記稿には以上のように記されている。
現在この山の名前が残っているのか知らないが、津久井城は御林山の宝峰と呼ばれる場所に築かれた城だとこの記述から分かる。
『津久井』の名称は鎌倉時代に津久井城を築城したと伝わる三浦氏の一族である筑井太郎次郎義胤から来ている。
同県横須賀市の津久井もこの一族に関する地名とのこと。
戦国時代、相模国の後北条氏と甲斐国の武田氏の境界にあった津久井城は極めて重要な要所であった。1569年(永禄12)には津久井城から南に4~5kmに位置する三増峠で武田信玄と北条氏照・氏邦が激突している。
かつては群名にまでなった『津久井』だが現在相模原市に『津久井』の住所は残っていない。
津久井湖へのアクセス
城山ダム、相模川左岸に水の苑地、右岸に花の苑地という駐車場完備の公園があるので、好きな方に停めるといいだろう。
JR橋本駅から神奈川中央交通のバスが出ているため公共交通機関でも問題なく向かえる。
路線は『橋01:橋本駅南口-三ヶ木』で停車場は水の苑地なら『城山高校前』、花の苑地なら『津久井湖観光センター前』で下車しよう。
津久井湖と幽霊
津久井湖には女性の霊が出るらしい。
上流に架かる名手橋や三井大橋、湖畔の岳雲沢隧道も女性の霊が現れると噂されているようだが、何か関連はあるのだろうか?
過去の新聞を調べると津久井湖が係わる事故や事件の記事が思いのほか見つかった。1973年(昭和48)から2020年(令和2)の間で10件強、全て遺体が発見されたというものだ。ざっくりと探してみただけなので、もっと詳しい調査をすれば倍以上出てくるかもしれない。
一番衝撃的だった事件は1994年(平成6)のバラバラ殺人。
30歳の息子が57歳の父親を殺害後、包丁で遺体を解体し黒のポリ袋に入れあと段ボールに詰めて津久井湖と相模湖の近くの崖から投げ捨てたというもの。
通報者は被害者と20年以上前に離婚した妻、つまり犯人の母親であった。恐らくは『親父を殺してしまった。どうしようか…。』といった会話があったのだろう。
慰霊碑の存在
津久井湖城山公園(花の苑地)に慰霊碑がある。
背面には『相模川総合開発事業建設工事殉職者』とあり、殉職者20名の名前が列記されている。
建立年月は1965年(昭和40)11月。城山ダムの竣工年と重なるので建設によって殉職された方々の慰霊碑で間違いないだろう。
城山ダムの上流の相模ダムにも工事殉職者の為の慰霊碑が建っている。
終わりに
『城山ダム』の建設では、津久井郡津久井町(現・相模原市緑区)太井の荒川集落の116世帯をはじめ、計285世帯、約1,400人の家屋が『津久井湖』の湖底に沈むこととなった。
三井住友トラスト不動産『県の発展を支える相模川の水』より引用
城山ダムの建設によって多くの住民が立ち退きを余儀なくされている。
これまで様々な心霊ダムを巡ってきたが、水没集落の存在するダムは心霊の噂が流布されやすい傾向にあるようだ。
そう噂されるのも理解出来なくもない。
先祖代々の寺社やお墓などに対して幾ら遷座・改葬の儀式を執り行ったからといって、果たして全てを清算することは出来るのだろうか?
霊が存在すると仮定して、それが土地に強い執着を持っているならば現れて然るべきだと思えなくもない。
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