心霊界隈に警告!閉ざされた畑トンネルの通行禁止ゲートで見たものは…。

畑トンネル

埼玉県飯能市にある畑トンネル。

御覧の通り通行禁止である。

車両通行禁止だけなら問題ないと判断して脇から入るのだが、これは無理だ。

立入禁止区域には入らない主義なので、バリケードだけ写真を撮って早々に退散する事にした。

ー告ー

この先の畑トンネルは心霊スポットではありません。

あなたたちの行動で地域住民は大変迷惑しています。

ここに来ることは不要不急なことです。

自分の行動を見つめなおしてください!

現地バリケードにあった掲示物より

いちのまる
いちのまる

近頃、廃墟などの不法侵入の取り締まりが厳しくなっているので気を付けましょう。畑トンネルのような有名な場所は通報されたらすぐに警察が飛んできます。

 

畑トンネルの過去写真

畑トンネル

知り合いの方に過去の畑トンネルの写真をいただいたので、かつての風景を紹介する。

私は廃墟や心霊スポットに興味はあるが、絶対にそのものを自身の眼で確かめたいという程でも無いため立入禁止になっている場所は、その入口、例えば今回の場合ならばバリケードの画像を撮影して満足する質なのだ。

ただ、それらに全く興味が無いという訳では無く、ネットや写真集で廃墟写真を嬉々として眺める事もあるし、このようなブログを運営しているので、実際にどういう場所なのか紹介したい気持ちが無い訳でもない。

なので、立入禁止前の写真を提供していただけると言うならば、お言葉に甘える次第である。

畑トンネルの歴史

畑トンネル

畑トンネルが出来る以前の飯能(埼玉)と青梅(東京)は経済や文化の交流こそあったが、交通の便は余り良くなく大回りをしなければならなかった。

地域の方々の要望を受け、当時の飯能町長と南高麗村長が県知事に掛け合いトンネルの開通を陳情したそうだ。

日露戦争などの影響で直ぐには実現しなかったが、1908年(明治41)に着工された。

竣工は1910年(明治43)3月31日。

総延長78.3m、幅員4.07m、高さ3.8m
※平成16年度道路施設現況調査(国土交通省)では幅員が、
『道路部:5.3m』『車道:4.8m』『歩道:0.5m』と記録されている。

経費は38,697円21銭。現在のお金に換算すると1億5千万位だろうか?

1987年(昭和62)12月24日に青梅飯能線バイパス(東京都道・埼玉県道28号)が開通したため県道から市道となった。

竣工年は古く、極めて状態の良い煉瓦積のトンネルなので土木遺産や指定史跡に登録されていても不思議で無いと思うが、特に何にも登録されていないようだ。

このまま不法侵入者が増えるようなら埋め立てられたり、坑門を完全封鎖されてしまうかもしれない。

 

心霊スポットとしての畑トンネル

畑トンネル

【しんれい新聞】は心霊スポットを紹介するサイトであるから、それについても触れておかなければならない。

トンネル系の心霊スポットと言えば『クラクションを〇回鳴らすと幽霊が出る。』『自動車の後部座席に女性が座っていて、トンネルを抜けるといなくなっていた。』『トンネルの途中で自動車の上に何かが落ちてきたが、確認しても何もなかった。』なんて話をよく聞くが、その根拠が判然としないケースが多い。

畑トンネルで噂される霊現象を以下に紹介する。

・人面犬が出る

・四つん這いの老婆の幽霊が出る

・天井に笑みを浮かべたようなシミがあり、それを見ると死ぬ

この中でも特に知られているのが人面犬で、発祥の地と云う噂もある。

いちのまる
いちのまる

といっても人面犬の伝承は江戸時代には既に存在しているそうだから、畑トンネルが発祥の地というのは出鱈目っぽいね。他の話も幽霊が具体的過ぎるせいか何だか陳腐に感じます。もう少し漠然としている方が私は好きです。

幽霊出没の根拠となるような事柄は起きているのだろうか?

古いトンネルは技術が未熟だった時代に穿たれたので殉職者の存在も考えられるが、意外とそう言う話はあまり聞かない。殺人事件や死亡事故が発生した現場付近のトンネルも確かに存在するけれど、数は極めて少ない。大抵は『暗くて何となく不気味な雰囲気』が幽霊を連想させている場合が多い。

畑トンネルの掘削工事は難航を極めたらしいが、殉職者が出たという情報は何処にもなく、また事故や事件が起きたという情報も見つけられなかった。

 

終わりに

畑トンネル

稲川淳二さんのホラービデオ『真・恐怖の現場~恐怖の検証 Vol.4 (異界へ誘う、呪縛トンネル)』で畑トンネルが紹介されている。

拝見したことが無いので詳しくは紹介出来ないけれど、これが畑トンネルの幽霊の噂に影響を与えたのは間違いない。当時テレビでは心霊番組がゴールデンタイムに堂々と流され、名前や場所こそ伏せられていたものの多くの心霊スポットが晒された。新しく生み出されたこともあっただろう。

他に何か情報がないかと過去の新聞を漁っていると畑トンネルの名が記載されている記事を1件見つけた。宮崎勤に関する記事であった。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人・宮崎勤が1989年(平成1)6月20日前後に友人をドライブに誘い、自身は助手席に座って秩父方面へ走らせた。青梅から飯能、名栗村を通り、途中廃道に近い畑トンネルも通過した。

既に4人の幼女を殺害した後の話である。

宮崎は名栗村で殺害&遺棄をしているので『犯人は現場に戻る。』という通り、様子見にでも行ったのかもしれない。この文脈で畑トンネルの名前を出す必要性を感じないが、宮崎が『畑トンネルを通りました。』と供述したのかもしれない。

宮崎勤の事件と畑トンネルは無関係であるけれども、こういった些細な事から変な噂が立つ可能性も無きにしも非ずである。

コメント

  1. プー太郎 より:

    数枚の画像を見てみましたけど、明治初期の完成なら旧佐敷トンネルや旧津奈木トンネルと差がない時期で、なんらかの史跡に指定されててもおかしくないんですけどね。
    昼間でも薄暗く湿気があるトンネルは霊が好む条件みたいで、そこいら辺をウロチョロしてる霊が居ついてもおかしくはないんですし、たまたま見えた連中が騒いでるだけでしょ?
    こうゆう歴史がある建造物が好きな方々も多いんで、整備して見学出来る様にしてもらいたいんですけど、維持管理費がかかりますから無理っぽいかな?

    • いちのまる より:

      プー太郎さん

      こんばんは!

      自治体によって変わるのかもしれませんね。

      有名な吹上トンネルなんかも史跡扱いにしていいと思いますが、雑に閉じられてしまいましたし…。

      地元住民からしたら騒がれてたまったもんじゃないですからね。

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