多摩テックの歴史をざっくりと紹介する!心霊の根拠は…。

多摩テック

東京都日野市の多摩テック跡。

1961年(昭和36)7月11日の読売新聞朝刊が『カミナリ天国』の見出しで多摩テックの黎明期を紹介している。カミナリとはカミナリ族のことで、現在で言う暴走族のような存在だ。

記事を要約すると、

多摩動物公園のすぐ近く、野猿峠の麓の広大な土地が購入され、カミナリ族専用のモータースポーツランドが開園する。

警視庁は『カミナリ族の養成所ではないか?事故が続くようなら管理責任を問うつもりである。』と言い放ち頭を悩ませた。運営サイドは『カミナリ族を一所に集め、しっかり指導した上でストレス発散してもらえれば外では迷惑を掛けなくなるだろう。』という主張であった。

という感じである。

 

多摩テックでの初めての死亡事故

1962年(昭和37)9月17日読売新聞朝刊。

9月16日午後1時25分頃、多摩テック内で初めての死亡事故が発生。男性がオートバイで急斜面のカーブを下る際、ハンドル操作を誤って約2mの堀に転落し、胸を強く打ち即死した。

園内で怪我をする人は多くいたが、施設内のため道路交通法が適用出来ず、警察としては介入が非常に困難であったらしい。

記事では多摩テックを『カミナリ天国』や『カミナリ族のメッカ』などと散々に揶揄している。

多摩テックとモンキー

多摩テック

HONDAの50ccバイクのモンキーは、多摩テックの遊具として製造されたのが始まりである。

1963年(昭和38)、園内の小さな遊具バイクを公道用にモデルチェンジして、まずは海外に輸出した。反響があったため1967年(昭和42)に日本国内用の製造が開始され、その際に『モンキー』と名付けられた。

名前の由来は諸説あるようだが、多摩テックの近くを通る野猿街道に関係しているという説が面白い。

 

多摩テックの終焉

多摩テック

当初はオートバイ愛好者のために造られた施設であったが、次第に老若男女の流入を目的とした遊園地として運営されることとなる。平成初期には敷地内から温泉を掘り当て温泉施設『クア・ガーデン』をオープンした。

しかしながら、2002年(平成14)以降入場者の減少が続き、2009年(平成21)に閉園してしまった。閉園の告知がされると大勢のファンが再訪して昔を懐かしみ多摩テックの最期を見送った。

多摩テック撤退後の敷地は明治大学によって買取られ教育施設の建設が進められていたが、様々な問題が発生し裁判沙汰にまでなっている。

2022年(令和4)現在、多摩テック跡は四方を緑の塀で張り巡らされ固く閉ざされている。殆ど自然に回帰しているようで廃墟内では珍しい植物や動物が和やかに暮らしているそうである。

 

終わりに

多摩テック

多摩テック跡には心霊スポットの噂が流れている。

多摩テックで発生した確証の取れている死亡事故は2件。上述したカミナリ族のオートバイ転落事故とゴーカートによる事故である。

1971年(昭和46)、男子中学生がゴーカートで遊んでいたところ、長さ1.5m程のマフラーが後部車軸に巻き取られた。急激に強い力で締め付けられたため首の骨が折れて即死した。

幽霊の噂はこの2つの事故が根拠になっているのだろうか?

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