国の登録有形文化財に指定される笹子隧道と心霊の噂

笹子隧道

1941年(昭和16)に土木試験所から出版された本邦道路隧道輯覧の情報によると笹子隧道の概要は以下である。

所在地:山梨県北都留郡笹子村/東八代郡日影村界

路線名:府県道勝沼大月線

起工:1936年(昭和11)6月1日

竣工:1937年(昭和12)8月5日

延長:240.00m

有効幅員:4.60m

有効高:4.00m

中央高:4.75m

Wikipediaなどの情報を見ると延長や幅員が少し異なっている。後世になって再測量されている可能性が考えられるので、本邦道路隧道輯覧の情報がどこまで正しいのか分からない。

この資料にはトンネルに関する様々な図面が表記されているので信憑性はそれなりに高いと考えられるが如何せん情報が古すぎる。

新しい情報を見つけたら追記しようと思う。

 

笹子隧道

この難所に開削された笹子隧道は、昭和十一年から十三年まで国庫補助を入れて二十八万六千七百円の工費を投入し昭和十三年三月に完成しました。坑門の左右にある洋風建築的な二本並びの柱形装飾が大変特徴的であります。

現地案内板より

本邦道路隧道輯覧では1937年(昭和12)8月5日に竣工と書かれていたが、現地案内板には1938年(昭和13)3月に完成とある。どちらが正しいのだろうか?

トンネルが土木的に貴重なことと交通の近代化をよく示す建築物として1997年(平成9)に国の登録有形文化財に登録された。

笹子峠と東京-甲府間のメインルートを奪い合った(?)御坂峠の御坂隧道も同時期に登録有形文化財に選ばれている。

笹子隧道

笹子隧道には幽霊が出ると云う噂がある。それ系のサイトを拝見すると概ね『事故死した少女の霊』が出没すると紹介されていた。しかし具体的な情報は一切存在しない。

何かそれと関連のありそうな事故や事件がないかと過去の新聞を漁ってみることにした。

1912年(明治45)6月19日17時頃、A(男/45歳)は笹子峠の岩陰に隠れB(男/40歳)が通り過ぎようとしたとき鉄の棒で両足を払い、懐のナイフを取り出し、前額及び腹部に突き刺して人事不省に陥らせた。その後、Aは集落に引き返してC(男/35歳)の宅に闖入し、Cの咽喉部をナイフで刺して人事不省に陥らせた。

記事中では人事不省となっているため生死の判別がつかないけれど、見出しを”笹子峠の二人殺し”としているため、恐らくBとCは亡くなったのだろう。

動機はAの姉が所有していた山林をBとCが他人に売却しようとした不正に憤慨したためであった。

 

笹子隧道

1936年(昭和11)10月10日14時頃、笹子峠頂上付近を飛行していた陸軍偵察機が突如火を吐きながら岩石の上に墜落。所沢飛行学校材料廠傭工の男性1名(21歳)が死亡した。

墜落現場は笹子峠の頂上から東へ500m~600m離れた巨岩の上。機体は殆ど焼失し右翼の一部の日の丸が僅かに残る程度で、男性は焼け落ち靴しか残っていなかった。

ちょうど笹子隧道が起工された年である。もしかしたら現場にいた工夫たちは墜落を目撃したのかもしれない。

いちのまる
いちのまる

笹子峠に関係する事件と事故だったから紹介したけど、トンネルが出来る前だし、少女の霊とは全く関係なさそう。大昔から使用されている峠道だから幾つかの死亡事故は起きているでしょうけど、これは調べてもわからないでしょうね。

 

終わりに

笹子隧道

2012年(平成24)12月2日に発生した笹子トンネル天井板崩落事故が関係している可能性もあるかと調査してみたが、この事故以前から笹子隧道には心霊の噂が存在しているため無関係だと分かった。

ただ余りにショッキングな事故だったため当時ニュースを見ていた世代は笹子トンネルと聞くと崩落事故を思い浮かべる方も少なくはないのではないかと思う。事故や事件の直後は噂にならないが、世間に忘れ去られた頃を見計らったかのように幽霊の噂が立ち上って来る。

恐らく心霊スポットの根拠はこういった人間の心情から生み出されているのだろう。

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