日本武尊と平将門が祀られる鎧神社ってどんな由緒があるの?

鎧神社

北新宿3丁目の鎧神社。

その歴史は古く、起源は1000年以上も遡る。僧・行基が彫ったと伝わる薬師如来像を祀るため円照寺が創建された。鎧神社の前身は円照寺の鬼門封じを目的として建てられたのが始まりだと云う。

『鎧』の名称には幾つか由来があるようだ。

1.社創建の遥か昔、日本武尊が東国平定の際、当地に甲冑を納めた

2.平安時代を生きた関東の覇者・平将門が討死したのを憐れんだ人々が当地に鎧を埋めた

3.将門を討った藤原秀郷が祟りを畏れて将門の鎧を埋めて弔った

いずれも伝説の域を出ないが、これらは関東人の歴史感が滲み出ていて面白い。御祭神は日本武尊、大己貴命、少彦名命、平将門。鎧神社に限らないが、朝廷に反逆して新皇を名乗った将門が神道で祀られているのを見ると不思議な気持ちになる。これが日本人特有の宗教観というやつだろうか?

 

心霊スポットの噂がある?

鎧神社

鎧神社に心霊スポットの噂が流れている。落ち武者の幽霊が歩いていたなどと云われている。

噂の根拠は2つ考えられる。

1つ目は先述した平将門の存在である。神様として祀られている一方、日本三大怨霊の一角でもあるからだ。関東地方には有名な首塚を始め、彼に纏わる心霊スポットが点在している。怨霊が昇華して神様になった理屈だろうから畏れられるのも理解出来なくはない。

もう1つは鎧神社のすぐ近くを走る鉄道に関係する。鎧神社はJR大久保駅と東中野駅の中間辺りに位置するのだが、この区間で過去に3件の列車追突事故が発生している。

1964年(昭和39)と1980年(昭和55)の事故は幸いにも死亡者は出していない。しかし1988年(昭和63)の事故では2名が死亡し100名以上が重軽傷を負う惨劇となった。大きな弧を描く区間だったため魔のカーブと呼ばれたらしいけれども、事故の原因はカーブではなく運転士の習慣にあったそうだ。

そこら辺の事はwikipediaに詳しく書かれているので、興味のある方は↓を読んで欲しい。

 

終わりに

鎧神社

昼間に訪問したため怖さや嫌な感じはなかった。平将門に関する場所は心霊スポットを目的にするよりもパワースポットとして臨むべきだと私は思っている。そうした方が誰にとっても良い場所で在り続けられるだろうから。

いちのまる
いちのまる

一切霊感のない私が言っても説得力ないかな…?

コメント

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