明治期に穿たれた月居隧道(つきおれ)へ!月居峠は古戦場だった?

月居隧道

日本三名瀑の一つ『袋田の滝』の南方に聳える月居山と鍋転山の鞍部に穿たれた月居隧道。

1976年(昭和51)3月に新月居トンネル(国道461号)が開通したため現役を譲り旧道となった。峠道の頂部に幾つかの廃屋があったので、そこの住民が使用していたくらいだと思われる。あとは登山客か。

現在は殆ど廃道の趣き。近い将来、峠の入口は完全封鎖されてしまうかもしれないけれども、仮に峠道が閉ざされたとしても袋田の滝や国道461号から続く登山道経由で月居隧道まで行くことは可能である。ただ道のりは中々に険しい。

 

月居隧道について

月居隧道

月居隧道の開削には、水戸の囚人三百人の労役が投じられ、三か年の歳月を費して十九年に長さ百四十間(約二五〇メートル)の隧道が完成した(石井良一『郷土の史実』第二集)。月居峠は地層が堅い集塊岩から成り立っているので、その工事は、火薬を使って爆破したり、鑿による掘削工事で当時の土木技術での作業はかなりの難工事であった。

大子町史 通史編 下巻 道路の新設と改修 245頁より

現在の月居隧道は明治時代に掘削されたトンネルを昭和期に改修したものである。『大子町史 写真集』で当時(時期は不明)の写真を見ることが出来る。興味のある方は探してみるといい。

1941年(昭和16)に土木試験所から出版された本邦道路隧道輯覧の情報によると月居隧道の概要は以下である。

所在地:茨城県久慈郡袋田村/生瀬村界(月居峠)

路線名:府県道大子太田線

起工:第一期…1934年(昭和9)7月25日、第二期…1935年(昭和10)12月1日

竣工:第一期…1935年(昭和10)3月31日、第二期…1936年(昭和11)3月31日

延長:275.00m

有効幅員:5.00m

有効高:3.50m

中央高:4.50m

このあと更に大改修をしたという情報をネット上で見かけたが原典は示されていなかったので真偽の程はわからない。

 

終わりに

月居隧道

月居隧道には子供の幽霊が出ると云うが、その根拠は不明である。

強いて月居隧道を幽霊と結び付けるなら幕末期に発生した月居峠の戦い(元治甲子の乱)だろうか。

生瀬方面から進駐して月居峠に布陣する追討軍市川三左衛門配下伊藤辰之介の率いる諸生軍に対し、天狗側は武田自らが指揮して麓の袋田側から攻撃したが、地の利を得た諸生軍は頂上から鉄砲を乱射し、或は巨石や大木を転がし落として反撃した。天狗側はこの戦闘で岡部貞次郎が戦死した外、数名の負傷者を出すなど戦況利なく大子村へ引上げた。

大子町史 通史編 上巻 天狗党の大子終結 657頁より

当時の月居峠がどこを通っていたのか分からないが、この辺りで天狗党と諸生党の小競り合いが発生し、戦死者を1名出したのは間違いなさそうだ。

その後、武田耕雲斎らが率いる天狗党は一橋慶喜を頼り、朝廷へ尊皇攘夷の志を訴える目的で大子町から西上するが越前国(福井)にて…。

これはまた別の機会に。

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