ありがた山に整然と建ち並ぶ石碑群の由来について調べてみた

ありがた山

東京都稲城市矢野口。

京王相模原線・京王よみうりランド駅から徒歩6~7分の位置に『ありがた山』と呼ばれる小丘があり、その斜面には麓から頂上まで数えきれない石碑が並んでいる。

一体ここはどのような場所なのだろうか?

 

ありがた山の始まり

ありがた山

結論から申し上げると『ありがた山』の石仏群は無縁仏を集めた場所、つまり墓地である。

1988年(昭和63)3月22日に東京都生活文化局コミュニティ文化部観光レクリエーション課が発行した『観光レクリエーションの手びき 東京』に以下のように書かれていた。

ある宗教団体が昭和15年から昭和18年にかけて都内駒込あたりの寺院にあった無縁仏を集め祀ったもの。

観光レクリエーションの手びき 東京 228頁より

関東大震災によって放置されていた墓石を稲城の地に運んで弔ったのが『ありがた山』の始まりだそうだ。

 

ありがた山と宗教団体?

ありがた山

『ある宗教団体』について『滅びゆく武蔵野』という書籍に詳細が記載されているので引用しよう。

岡山県に本部をもつ日徳会と称する会で、自分の奉仕は人に喧伝するものではなく、かくれた奉仕こそ供徳が積まれるという主旨の人たちの集りで、宗教ではないという。

滅びゆく武蔵野 有難山の無縁仏群より

ネットで日徳会と検索すると日徳海という団体の情報が出てくる。

日徳海は稲城市を所在地とする一般社団法人のようであるから『滅びゆく武蔵野』の記述が正しければその前身は岡山県にあったのだろう。

上述した『観光レクリエーションの手びき 東京』では『ある宗教団体』と書かれているが、宗教団体ではなく慈善団体に近い存在と言った方がいいかもしれない。

ありがた山

修養団は当時学生が多く、駒込から墓石をひとつひとつかついで長いことかかって、ここに無縁仏を移したが、いまではみな老人となって、二世が引きついでいる。陰徳を積むを目的にしているがゆえに、TVや週刊誌にとりあげられるのを固くことわってきたのだともいう。知られざる新東京風景にちがいない。

新東京風景 有難山の地蔵群 156頁より

いちのまる
いちのまる

↑の書籍は1985年(昭和60)に発行されているものだから、今は三世が継いでいるのかもね。『ありがた山』の周囲は開発されているけど、ここだけ残っているのはまだ管理者がいるってことだよね。

 

終わりに

ありがた山

『ありがた山』は心霊スポットと知られているが、歴史の背景を知るとそう思えなくなってくる。

『墓=幽霊』と短絡的に考えればそうなのかもしれないが、震災によって捨て置かれていた墓を有志が集め祀った場所なのだから、どちらかといえば神聖な場所なのではなかろうか。

こんなサイトを運営している私が言うのもおかしな話だけれども、ここを心霊スポットとして扱うのは少々疑問が残る。

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