かつてマンダリン・ブラフと呼ばれた場所にある本牧十二天緑地の歴史

本牧十二天緑地

本牧十二天緑地のある場所は鎌倉時代から室町時代にかけて久良岐郡平子郷と呼ばれ、三浦氏或いは武蔵七党の横山氏の子孫が平子氏を名乗り治めていた。

平子氏の館址は磯子真照寺で禅馬(磯子、岡、滝頭を含む)、根岸、本目(本牧)、石川の聚落が平子郷の本拠であったが、平子郷の名は平子氏の退転とともに失われ、北条氏により本牧郷に変えられた(1545年文書)。

横濱歴史年表 24頁 その後の平子郷と平子氏より

戦国時代には平子氏に代わって後北条氏が当地を支配した。横濱歴史年表を読む限り両氏が争った形跡はない。分家が越後国や周防国に存続していたようだが、武蔵国の平子氏は消息を絶っている。

江戸時代に入ると本牧本郷村、または本郷村と呼ばれるようになった。住民は主に漁業に従事し熬海鼠(いりこ)などを作り生計を立てていたそうである。村には6つの集落があり、十二天社を村の惣鎮守としていた。

十二天社には様々な由来があるようだが、ここでは新編武蔵風土記稿に書かれた一説を引用しておく。

丑ノ方ニテ惣鎭守ナリ

相傳フ神體ハ永祿年中今神主豊後ガ先祖松本次郎左衞門ト云モノ當所海面ニテ漁網中ニ得タリ依テ爰ニ社ヲ建テ祀ル

新編武蔵風土記稿 巻之七十七 本郷村 十二天社より

『松本次郎左衛門が海で漁をしていたところ御神体を見つけたため社を建てて祀った』といった意味である。

江戸時代末期の本牧には在留外国人のための遊歩道が敷設され路傍に休憩所が建った。やがて休憩所はチャブ屋(あいまい宿)と呼ばれる売春宿に変化していった云う。本牧十二天は景勝が良く海水浴場として人気だったとのこと。この辺りのことはネットで詳しく紹介されている方がいらっしゃるので興味のある方は『チャブ屋 本牧』と検索してみるといい。

 

本牧十二天と心霊

本牧十二天緑地

本牧十二天緑地は幽霊が出ると噂されている。幾つか根拠となりそうな新聞記事を見つけたので紹介しよう。

1909年(明治42)、本牧十二天の高さ1丈の崖から男性が飛び降りた。水上署が遺体の捜索をしたが見つからなかった。

1916年(大正5)、22歳の女性が本牧十二天の高さ数丈の崖から投身自殺した。自殺の原因は精神錯乱だと下している。

1994年(平成6)、本牧十二天の空き地から女性の遺体が発見される。別れ話のもつれが原因の殺人事件だった。

かなり古い新聞だが、2件の自殺についての記事を発見した。埋め立てられる以前の本牧十二天は海に面していて記事中に高さ1丈、数丈とあるので少なくとも3m以上の崖があったことが分かる。短期間のうちに2人落ちているので、もしかするとそういう場所だったのかもしれない。

この他に『戦後GHQの土地の接収に抵抗した老婆がブルドーザーに轢かれて亡くなった話』や『空襲によって焼け落ちた本牧神社から老婆の焼死体が発見された話』などの情報を見受ける見聞きした。老婆の話は確証が取れていないので事実かどうか分からないが、ネット上で本牧十二天に出ると噂されている老婆の霊はこれが基になっているのだろう。

 

終わりに

本牧十二天緑地

かつて本牧の海に突き出た十二天の崖は、黒船のペリー提督の海図によると『マンダリン・ブラフ』と名付けられています。

日本来航時、横浜周辺の水深を測量した艦隊は十二天の黄色い崖をみて、その色から『Mandarin bluff』(みかん色の崖)と呼び、当時はるばる海を渡ってきた船はこの崖を航行の目印としていました。

現地案内板より

いちのまる
いちのまる

みかん色の崖の面影は一切残っていませんが↑の写真がマンダリン・ブラフの名残だそうです。

本牧十二天緑地の広場には当地の歴史を記したパネルが数基展示されている。江戸時代の絵図や明治~昭和初期にかけての写真も併せて掲載されているので、興味のある方は一度訪れてはいかがだろうか。

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