寺院

山口県

功山寺と高杉晋作の回天義挙について【山口】

1602年に初代長府藩主の毛利秀元が寺を再興、曹洞宗に転宗させ、二代目藩主が秀元公の戒名『智門寺殿功山玄誉大居士』にちなんで功山寺と改名します。時代が一気に飛んで1865年。幕末に高杉晋作が功山寺で挙兵。このことを回天義挙(功山寺挙兵)といいます。さて、今回は回天義挙について紹介しようと思います。
大分県

墓から生まれた坊主のカリスマ!通幻寂霊禅師とは?【大分】

通幻寂霊(つうげんじゃくれい)は1322年から1391年(南北朝時代)を生きた曹洞宗の僧侶です。出身地は豊後州国東郡武蔵郷治郎丸(大分県)の阿弥陀寺、または因幡国岩井郡(鳥取県)といわれていますが、ここでは大分県生まれということにしておきしょう。
大分県

閻魔大王と奪衣婆が安置される圓龍寺へ【大分】

圓龍寺は寛永年間(1624~1645)に播磨龍野藩(兵庫)から中津藩に転封してきたときに建立された寺院。宗派は阿弥陀仏を本尊とする浄土宗、山号は岡谷山、開祖は専譽上人です。
大分県

赤壁・合元寺と宇都宮鎮房誅殺事件について【大分】

戦国時代に黒田官兵衛が治めた中津城下東には寺町という寺院密集地帯があります。訪問した合元寺もそのうちの一つの寺院なのですが、どの寺院よりもひときわ目立っています。もし何も知らずに合元寺の前を通ったなら『なんか怖いんだけど…。』と思う方も少なからずいるでしょう。実際心霊スポットとしても有名みたいです。
大分県

河童が火災から守ったという円応寺の伝説【大分】

円応寺は浄土宗寺院で中津の領地を与えられた黒田官兵衛が1587年(天正15)に開基、見道大和尚が開山しました。黒田氏が福岡に加増転封したあと小笠原氏、奥平氏と各藩主に大切にされた由緒ある寺院です。
大分県

黒田官兵衛の弟が創建したと伝わる西蓮寺へ【大分】

寳池山西蓮寺(ほうちざんさいれんじ)は1588年(天正16)に光心師が創建しました。光心師こと黒田市右衛門について調べてみてもほとんど情報がありませんでした。西蓮寺の本堂は1844年(弘化元・天保15)に再建されたもので、発起人は播磨屋助次郎という8歳の少年だったそうです。
東京都

増上寺の歴史と徳川将軍家墓所の謎【東京】

芝大門にある増上寺は小田原征伐後に関東へ入部した徳川家康が菩提寺と定めた浄土宗の寺院です。境内に徳川将軍家墓所があるのですが、何故か15代将軍全員のお墓はありません。ということで今回は増上寺の歴史と菩提寺なのに将軍全員の墓がない理由について見ていくことにしましょう。
東京都

小塚原刑場跡と首切り地蔵について【東京】

日光街道の小塚原刑場。東海道の鈴ヶ森刑場、甲州街道の大和田刑場。これら三箇所は江戸三大処刑場と呼ばれ怖れられていました。鈴ヶ森刑場跡については【斬って磔、燃やされる鈴ヶ森刑場 編】で紹介しています。そして今回は荒川区南千住駅近くにある小塚原刑場跡へ。
東京都

豪徳寺にある井伊直弼の墓と招き猫物語について【東京】

とある武士が鷹狩りを終えたあと老朽化した寺の前を通りました。すると寺の中から手を招いている猫を見つけます。『不思議なこともあるもんだ?』と興味を示し、誘われるように寺の中へ。ここで休憩していこうと腰を下ろしたとたん、激しい雷雨が降ってきたので、武士は寺の住職と対話をして時間を潰しました。
東京都

勝率.962の怪物!最強力士・雷電為右衛門の墓【東京】

雷電為右衛門は勝率.962の現在まで語り継がれる相撲取りです。身長6尺5寸(約197㎝)、体重45貫(約169㎏)という現代でも通用するレベルの巨漢であったと云われています。また筆まめで教養のある人物だったことでも知られており、自身の成績や巡業について書いた諸国相撲控帳や松江藩相撲頭取になってからの仕事内容を記載した萬御用覚帳などが残されています。