150体の…。心霊スポット・八幡塚の首塚の歴史について【群馬の旅】

戦国時代の群馬県は武田、上杉、後北条といった強烈な隣国に囲まれていたため戦場になりやすい立地にありました。そのため多くの古戦場が残っており、よくよく調べてみると武田信玄やら上杉謙信など超有名武将の名前が出てきます。

今回の八幡平の首塚も武田氏や西上野に関する歴史的に重要な史跡です。またこの辺りが戦場となり多数の死者を出したという証拠が見つかっていることから、オカルト好きの間では心霊スポットとして有名になってしまいました。

それではここで何があったのか振り返って見ることにしましょう。

 

八幡平の首塚へのアクセス

国道18号線を高崎方面から進んで碓氷病院入口の信号の次の信号を左折します。すると大きな二子塚古墳が見えてきます。その裏側に八幡平の首塚はあります。二子塚古墳の駐車場(道を挟んで対面にあります)に停めて歩いて向かうことをおすすめします。

 

八幡塚の首塚の歴史

八幡塚の首塚

1561年に上州の黄班・長野業正が亡くなり上野侵攻を本格的に始めた武田信玄は手始めに西上野の国峰城(甘楽町小幡)を攻略。そこを拠点にして安中方面へ侵攻しました。そして松井田城と安中城を分断するため両城の間にあるここ八幡平に陣を置きます。

 

八幡塚の首塚

安中城、松井田城を治めていた安中氏は抵抗しますが信玄率いる屈強な軍隊に押され止む無く降伏します。これにより安中一帯は武田氏の支配下に置かれることになりました。武田氏による西上野侵攻により戦死した両軍の兵士らを弔うためにこの供養塔は建てられました。

ここまでは有り触れた話です。戦が起きれば人が死ぬのは当たり前ですし、このように霊を供養するための施設は日本各地にいくらでもあります。では何故、心霊スポットとしてここまで有名になってしまったのか?

 

八幡塚の首塚

昭和6年3月。墓参りに来た小学生がいました。 彼か彼女かはわからないですが穴でも掘って遊んでいたのでしょう。見つけてしまったのです…。人骨、しかも頭蓋骨を。当時の情報が見つからないので詳細はわかりませんが、高学年だったら人の頭蓋骨はわかるでしょうからビビったでしょうね。低学年だったら親に見せて親がビビったに違いありません。

その後、調査が入り掘り返してみると…。

なんと!150つの人間の頭蓋骨が発掘されました。

頭蓋骨は四肢が無く下顎が外されていることから別のところから運ばれてきたものではないかと伝わっています。骨は中世日本人の特徴を示していて、刺創が見つかったことから戦国時代のものではないかとされています。

1783年の浅間山大噴火による火山灰が骨に覆い被さっていたことから江戸時代に地域の人々が骨を見つけて纏めてここに埋葬したのではないかと予想されています。

 

終わりに

見つけた小学生も親御さんも恐ろしかったでしょうね。

ちなみに『絶対行っちゃいけない!』くらいにいわれている心霊スポットですが全然怖くないです。場所は開けてますし周りに住宅がありますので、多分夜も怖くないはず。

おしまい!

八幡塚の首塚

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いちちと申します。 休日の殆どを一人旅に費やしています。いつか流浪の民になって日本中を周って過ごしたい。歴史、B級スポット、心霊スポットのネタが多めな旅行記ブログです。