草木ダムは1977年(昭和52)に渡良瀬川に設置された多目的ダムである。
完成当初は神戸ダムと呼ばれていたが、地元民の要望で沈んだ地区名をとって草木ダムと改名された。
草木ダムの主な役割は水害防止、様々な用水(水道、工業、農業)、そして発電も担っている。
過去に起きた悲惨な洪水被害を繰り返さないよう渡良瀬川沿岸の守りを固めるとともに、群馬県を始め、栃木県、埼玉県そして東京都の水瓶として活躍。
また草木ダムから排出された水力は下流にある4つの発電所を通り約2万世帯分の電気を生み出す。
そして、渡良瀬川流域はかつて足尾銅山鉱毒事件によって汚染された過去があるため、現在でも水質自動監視装置し厳重な水質の監視をしている。
草木湖底ギャラリー
これからお送りする『草木ダム・湖底ギャラリー』では渇水時にしかお目にかかれないレアな風景をお届けする。
上の写真は日光大間々線の打出沢にかかる内手橋。竣工は昭和32年6月。
満水時はもちろん見ることが出来ない。
名前不詳の橋。
当時の足尾線(わたらせ渓谷鉄道)を利用していた人からの情報によると『草木地区はV字の谷になっており、よく霧がかかっていた。それがなんとも幻想的な風景だった。』とのこと。
神社の石階段と思われる遺構。
石階段の先の参道。
うん、間違いなくここは神社跡だな。
鳥居の礎石と鳥居の一部と思われる遺構があった。
追記
社名 武尊神社
祭神 日本武尊
鎮座地 草木字内手六五七
群馬県教育委員会事務局 1966年発行 勢多郡東村の民俗より
(五)呪いと民間療法
〇こり
大病の時、生きかしてえっていうので、武尊神社の方に向って、もよりの川や水ばで、頭から水をあびて、こりをとった。四十年ほど前に実際にやった。(草木、上草木)群馬県教育委員会事務局 1966年発行 勢多郡東村の民俗より
上草木武尊神社は横川の高草木重郎兵衛が明和四年建立という。(棟札)一間社流造向軒唐破風、出三斗組、極彩色、後世の鞘宮の中に納まり拝殿もある。
群馬県教育委員会事務局 1966年発行 勢多郡東村の民俗より
神社跡は先に紹介した内手橋のすぐ近くにある。字名が一致するので、ここには武尊神社があったのと思われる。
ダムの建設によって神社は沈んでしまったわけだが、遷座は行われたのだろうか。ここより南西方向の山の中に同名の神社が存在する。はっきりとしたことはわからないけれど、もしかするとこの神社が上草木の武尊神社の遷座先なのかもしれない。
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