熊本の山深い谷に架かる内大臣橋。
1961年(昭和36)9月に着工され、工費1億5千万円を掛け1963年(昭和38)の10月に完成した。
橋の長さは199.5m、幅5.5m、高さは88m。
内大臣の由来について、そして心霊スポットとして扱われる理由をみてゆこう。
内大臣橋へのアクセス
九州自動車道の松橋ICが最寄りの高速出口。そこから40~50分程かかる。かなり遠くに感じた。
国道218号線をひたすら進むと(途中から国道445号線になる)青看板に『内大臣橋』とあるので斜め右方向に入る。
そこからは狭い道が続くので要注意!
内大臣の由来
内大臣の読みは『ないだいじん』。この辺りの地名を内大臣という。
内大臣は平清盛の嫡男である平重盛を指す。重盛は六波羅小松第に住んでいたので小松殿、小松内大臣などとも呼ばれていた。
平重盛は所謂『出来る人』で尚且つ温和で性格も良かったため多くの人々から慕われていたらしい。
父・清盛からも後継者として期待されていたのだが、若くして亡くなってしまった。
重盛の最終官位は内大臣であった。
内大臣橋の上流に平重盛を祀る小松神社が鎮座する。九州地方には小松神社が点在しているようだ。
平安時代の末期(1185年)に行われた壇ノ浦の戦いで平家は源氏に敗北し完全に没落してしまった。
平家の皆々は多く者が討ち死に、或いは自害して果てたが、一部は九州の山奥に落ち延び生き長らえた者もいた。
九州各地には平家の落人伝説が残っている集落が結構存在する。
ここも平家落人の里だと伝わる。
落人たちは平重盛を偲びこの地に内大臣という地名にしたのであろう。
重盛公ならきっと助けてくれるとか、重盛公が生きていれば源平合戦の悲劇は防げたと考えたのかもしれない。
心霊スポットとしての内大臣橋
橋の袂には『南無阿弥陀佛』の石碑と合掌する石仏が安置されていた。双方とも古さは感じない。
この橋は心霊スポットとして知られている。
88mの橋ですからね…。間違いなく終われます。
たぶん飛び降りた方々を供養するために石碑・石仏が建立されたのではないでしょうか?
完成当時の内大臣橋は薄いふじ色で1970年(昭和47)に赤色に塗り替えられ、1999年~2000年(平成11~12)に行われた工事で現在の色に変わった。その際に欄干のかさ上げと転落防止柵が設置された。
過去の新聞を調べると内大臣橋に関する記事が幾つか見受けられる。
・飛び降りようとしている人を保護したという記事が2件
また橋を赤色から現在の色に変えた理由について書いている記事もあった。
・イメージチェンジの意味合い
これがカラーチェンジの理由だそうだ。
終わりに
私は高所恐怖症とまでは行かないけれども、高い所は苦手だ。
高い所から下を眺めると、なんか下半身から何かが『ぞわぞわ』って来て、その後に全身が『ぶるぶる』って震え出し、最後に頭の上から『すぅー』って魂のようなものが抜けていく感じがする。
真上を見て空を眺める時も似たような感覚に襲われる時がある。
どこかのサイトで内大臣橋に行くと『吸い込まれる感じになる』って書いてあったが、何となくその気持ちはわかる。
霊の仕業だとは思わないが。
コメント
昔(といっても10数年ぐらい前)、内大臣橋のある目丸地区で数ヶ月ほど仕事していたとき、
「内大臣橋って幽霊出るらしいすね」と地元の業者の方に話を振ったら、
その人が言うには、内大臣橋よりも、地区の外れにある場所の方が、地元の人間としては近づきたくないそうです
こっちの方が昔から良くない曰くがあるそうで
逆に内大臣橋はいきなり有名になりすぎて怖いと言うより面白いとか
匿名 さま
平家落人の集落があったとされる場所ですから、それ関連の曰くつきの場所があるのかもしれませんね。
わたしは幽霊を殆ど信じていないからなのか心霊的な怖さは感じませんでした。
ただ、高い所が苦手なので、そういう意味では怖かったです。