松樹風高くして顕密の深法を示し楊柳水清くして易行の佛名を伝ふ麻布山善福寺ハ天長の昔し弘法大師の初めて建立する所にして相承八世了海法師に至りて淨土門に歸し念佛往生の宗となり遠近化益に霑ふ一千余年燈挑げ來りて二十餘世王佛二法相悖らず朝廷賜はるに永續保存の資金を以てせらるヽに至る
麻布山善福寺緣起より
何やら難しい事が書いてるように見えるが、
素晴らしい教えは多く人々に影響を与え、1000年余りも光明を燈し続けて来た麻布山善福寺。
20余世、道理に背くことなく国からの永続保存の資金を以て継承され今に至る。
細かいことは分からないけど、まぁこんな感じだろう。
天長年間(824~834)に開山されたと伝わるから1000年以上も前に存在していたことになる。
麻布山善福寺の場所
麻布十番駅の1番出口を南下して2つ目の路地に入った突き当りにある。
葬儀も行っているようで大きな駐車場もあったが、一般の方が停められるかは分からない。
近くに仙台坂(幽霊坂)という心霊スポットもあるので、お好きな方は是非どうぞ。
柳の井戸
東京の名湧水に数えられる柳の井戸が善福寺の参道脇にあった。
弘法大師が錫杖を地面に突き立てた所に湧き出たという伝説が残る。
とある聖人が柳の枝で掘り進めたら飲み水が出たという説もあるそうです。
1923年(大正12)の関東大震災、1945年(昭和20)の東京大空襲の大火災の際には、この良質な清水が多くの民衆を救った。
最初のアメリカ公使宿館跡
善福寺は日本初のアメリカ公使宿館になった場所である。
1859年(安政6)に公使・ハリスが下田より赴任し、奥書院や客殿の一部を宿館として利用していた。
1863年(文久3)の火災により書院などが焼失したため、本堂や開山堂なども使用された。
1875年(明治8)に築地の外国人居留地へ移転したと云う。
アメリカ大使館の歴史を紹介するサイトだと、善福寺が火事に見舞われた後、横浜移転を挟んで築地に移ったと書いてあるけど、どっちが正しいんだろ?
逆さイチョウ
幹周りは一〇・四メートルあり、都内のイチョウの中で最大の巨樹である。
樹齢は七五○年以上と推定される。国指定天然記念物 善福寺のイチョウより
浄土真宗開祖・親鸞聖人が地に差した杖が成長したとの伝説から『杖イチョウ』と呼ばれている。
また、巨大なイチョウの樹によく見られる”乳”の存在から『逆さイチョウ』の異名もある。
酸欠を回避するため地面からタケノコのように気根を出す沼杉(ラクウショウ)のような植物も存在する。
イチョウの”乳”も気根と同様の説明が為される場合があるけれども、十分に空気を吸える環境であるにも拘らずイチョウの”乳”は垂れる。
どうやらハッキリとした原因は分かっていないそうだ。
“乳”は昔から信仰の対象となっており、子育てに関するご利益があるとされる。
その形に関連付けて『よく乳が出ますように』的な願掛けをしたのでしょうね。
善福寺のイチョウは750年間以上も生き続けている。
東京大空襲で善福寺の本堂が全焼したとき、イチョウにもかなりの被害があったが枯れなかった。
『子育て、長寿、事故回避などなど』他にも様々な御利益がありそうだ。
終わりに
麻布山善福寺には心霊スポットの噂が流れている。
心霊スポットを扱う他のサイトを拝見すると『戦国時代に討ち取った敵の手首をイチョウの近くに置いて手柄を報告した。それ故に”血吸いイチョウ”と呼ばれている。』と記されていた。『逆さイチョウ』のことだろうか。
これは何を根拠としているのだろうか?
戦国時代に石山本願寺(大阪)へ援軍を送ったという歴史があるようだから、それに由縁しているのかもしれない。さすがに敵の手首を大阪から東京に持って帰るとは思えないが。
駆けつけた援軍に顕如上人が渡したという旗印が寺宝として保管されているそうである。
コメント