鶴岡八幡宮の西1kmに位置する源氏山公園は平安時代後期の武将・源義家が前九年の役で旗揚げをした場所だと伝わる。(新編相模国風土記稿の記述を参考)
ちなみに源氏山公園のHPではその後に起った後三年の役の旗上げの際に戦勝祈願を行ったと書かれていた。
そのため源氏山には旗立山、御旗山などの別称がある。また詞林采葉抄には武庫山という古名も見られる。
歴史的な土地柄からか鎌倉市には多くの心霊スポットが点在している。
源氏山公園には落ち武者や自殺者の幽霊が出ると云う噂があるようだ。
何か根拠はあるのだろうか?
源氏山公園へのアクセス
公園に駐車場は無い。
源氏山公園は広いので入口によって到達時間が異なる。
JR鎌倉駅から徒歩で約15分(google map調べ)。
恐らく寿福寺経由ならもっと早く辿り着けると思うが、ちょっと難しい道を進むので道筋の説明が困難である。その道中には伝・源実朝、北条政子の墓や太田道灌の墓があるので、歴史が好きな方は是非調べて行ってみて欲しい。
私は銭洗弁財天宇賀福神社に寄ってから源氏山公園に行ったので5分程で着いた。
源氏山の歴史
源氏山公園に落ち武者の幽霊が出るというのは、武士と関わりの深い土地だからであろう。
冒頭に紹介した源義家の旗上げを始めとし、1333年(正慶2)の新田義貞による鎌倉攻めでは源氏山公園の化粧坂(けわいざか)で激しい戦いが行われ、南北朝時代の1352年(正平7/観応3・文和1)に発生した武蔵野合戦では鎌倉を奪取しようとする新田義興(義貞の次男)がここに押し寄せている。
また、鎌倉大草紙によると1416年(応永23)の上杉禅秀の乱でも化粧坂が戦場となった描写がある。
鎌倉七口のひとつである化粧坂は『大昔、平家の大将の首を討ち取り化粧をし首実検した』ことに因んで名づけられたと伝わる。
当時の関東における中心地の出入口ですから、有事の際には戦いの舞台となりやすいのでしょうね。これだけ合戦が起きてると落ち武者の幽霊が出るって噂されていても不思議じゃないかも…。
日野俊基の処刑場
日野俊基は鎌倉時代末期を生きた公家で、後醍醐天皇の側近であった。
後醍醐天皇と言えば『打倒!鎌倉幕府』を掲げて各地の豪族を巧みに操り見事討幕を果たした野心家として知られているが、当然の如く夢の実現は数多の犠牲の上に成り立っている。
日野俊基もその一人であった。
後醍醐天皇が鎌倉幕府を滅ぼした一連の事件を元弘の乱と呼ぶ。
日野俊基は元弘の乱の初期(元弘の変)に討幕計画の疑いをかけられ捕縛された後、化粧坂上の葛原ヶ岡で処刑された。
源氏山公園の北西部には葛原岡神社が鎮座し、そこに日野俊基は祀られ、神社参道の片隅には国指定史跡・日野俊基墓が安置されている。宝篋印塔の立派な墓石である。彼が信仰の対象にまでなった理由は江戸時代から明治時代の変遷に関係があるのだろう。
心霊スポットのサイトを幾つか拝見すると『ここは処刑場だった』という記述を見受けるが、そのような事実はない。ここは日野俊基が処刑された場所で恒常的に処刑が行われていた場所では無いという訳だ。
終わりに
自殺者の霊が出ると云う噂はどうだろうか?
過去の新聞で1件だけ自殺を匂わせるような記事を発見した。
自殺に関しては事件が公にされない場合が多いため殆ど情報が出てこない。
多発すると迄はいかないだろうが、これだけ大きい公園なので年に数回の事件や事故が起きているかもしれない。
これ以上調べても何も出てきそうもないので、調査はこれで打ち切ろうかと思う。
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