群馬の森にあった廃墟群と岩鼻火薬製造所跡の歴史について

群馬の森

高崎市綿貫町にある公園・群馬の森へ!

中心部には美術館や歴史博物館があり、広場は市民が集う憩いのスペースになっている。

まったりとした空気が流れていて老若男女、多くの方々が楽しんでいる様子だった。

いちのまる
いちのまる

とても、明るい風景でした。

しかし、外周の遊歩道は趣きが異なる。明らかに雰囲気が違うのだ…。

 

謎の廃墟群?!

群馬の森

外周はこのような鉄柵で厳重に囲われている。

 

群馬の森

巨大土管。もちろんここも立入禁止になっている。(手を伸ばして撮影した)

 

群馬の森

廃墟がある。

 

群馬の森

侵入する強者もいるようだが、おすすめしない。

管理されている廃墟なので、見つかれば通報される可能性が高い。

 

群馬の森

一体、この廃墟は何なんだろうか?ということで調べてみた。

 

岩鼻火薬製造所について

群馬の森

この廃墟は1882年(明治15)に操業開始した岩鼻火薬製造所の名残である。

1884年1月8日の読売新聞・朝刊に『大山陸軍卿が岩鼻火薬製造所を巡視するため出発された。』という記事が記載されていた。

明治政府が初めて設置した火薬製造所は東京の板橋にあり、今は国指定の史跡になっている。

岩鼻火薬製造所はその次に造られた2番目の火薬製造所であった。

大山巌ほどの人物がわざわざ視察に赴く、陸軍にとって重要な施設だったことがわかる。

大山巌とは?
鹿児島県出身の武士(薩摩藩士)、軍人(元帥陸軍大将)、政治家。
西郷隆盛・従道兄弟の従弟。
西南戦争では明治政府の軍人として西郷隆盛らと戦った。西郷亡き後、鹿児島に帰ることは無かったと云う。
日露戦争では満州軍総司令官として陸軍を率い勝利に貢献。
海軍を率いた同郷の東郷平八郎と並べ『陸の大山、海の東郷』と言われた。

群馬の森が心霊スポット???

群馬の森

1938年(昭和13)5月28日、読売新聞朝刊の記事を要約。

27日午後、岩鼻火薬製造所の洗滌室(洗浄室)が爆発、火熱室から火災が発生し消火に努め鎮火した。
洗滌室の爆発で付近の民家の窓ガラスが割れ、塀も倒壊。
十数名の死傷者が出た。

なんと、爆発事故が起きていた。

公園内の所々に高い土塁が盛られていたが、これは延焼及び誘爆を防ぐためのものだろう。

 

群馬の森

2019年(平成31)1月26日の読売新聞朝刊にも参考になる記事があった。

火薬製造所についての記事で、その中に『60年間で爆発事故が31回、犠牲者は47人出た。』といった内容だ。

結構な人数が殉職している。

他に事件や事故が起こっていないかデータベースサービスで検索してみたが、特筆すべき記事は無かった。

 

終わりに

群馬の森

ここ、旧岩鼻火薬製造所の歴史は明治十二年にはじまる

富国強兵、産業の振興をはかり近代国家の確立をめざした明治政府は火薬類の軍需民需の急増に応えるため烏川の沿岸、当時としては唯一の動力源である水車の利用に適し水利と水運に恵まれ東京にも近いこの地に建設を決定した

明治十三年 建設に着手
明治十五年 竣工、黒色火薬の製造を開始、施設の増設、技術の革新をはかった
明治三十八年 ダイナマイトの製造を開始して、わが国産業爆薬製造の発祥地となった
昭和九年 ニトログリセリン入りの無煙火薬の製造を始めた

昭和二十年第二次世界大戦の終結による閉鎖にいたるまで六十四年間ここで生産された火薬類は軍需のほか民間需要にも応へ、わが国近代産業史に残した足跡は大きい

群馬県が明治百年の記念事業として、この地に『群馬の森』を開設し、新らしい時代の役割を担う地を計画すると聞き、この地にゆかりのあるもの相計り、由来を述べて建碑の記とした

昭和四十八年五月十三日

現地 建碑記より

戦争遺構はどうしても心霊スポットになりがちである。

ましてやここは多くの人々が亡くなっている。

いちのまる
いちのまる

歴史を振り返ると、ここを怖いと思ってしまう人がいても仕方のないのかもしれません。

コメント

  1. 上総 より:

    (お隣で)まだ火薬を作ってるんですよね。
    31回も事故って、懲りないですね。

  2. 興亜一心 より:

    50年前は入れたんですよね~
    あの頃はガキだったので「へ~」くらいにしか思ってませんでした。
    今なら写真撮りまくりだったのに。

    ちなみにお隣は日本化薬という製薬会社です。
    火薬は作ってないと思います。で、その向こう隣は原子力研究所。

    まさか、核弾頭なんて・・・

    • いちのまる より:

      興亜一心 様

      コメントありがとうございます!
      昔は入れたのですね。

      大日本帝国時代の名残ですからね~。
      是非、中を覗いてみたいものです。

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