ちょっと雰囲気のある相模湖の弁天橋へ!むかしは通行料を取る橋だったらしいよ

弁天橋

相模ダムから500m下流に架かる弁天橋は、1986年(昭和61)に竣工された長さ72m、幅1.5mのちょっぴり不気味で古めかしい鋼吊橋で、かながわの橋100選の内の1基である。

この橋というか付近にあるキャンプ場に幽霊出没の談があるようだ。

 

弁天橋

キャンプ場だと思われる場所の写真↑。

恐らく現在は利用されていないのではないかと思う。

草生が繁茂していてキャンプが出来る状態には見えなかった。

 

弁天橋の場所

弁天橋

JR藤野駅の直ぐ近くに同名の橋が架かっているが、幽霊が出ると噂されているのは相模ダム下流の弁天橋である。

北側から向かうなら国道20号(甲州街道)の千木良バス停の付近に弁天橋への案内板があるのでそれに従おう。牛鞍児童遊園の脇道から弁天橋へ下る道が延びている。悪路を数メートル進むので足元に注意!

南からなら相模ダム方面から相模川沿いの道を進む。神奈川県立津久井養護学校の駐車場へ入る小道を下る。木製の看板に『弁天橋』名前があるので迷うことは無いだろう。

 

弁天橋の歴史

弁天橋

昭和二十二年相模湖完成、下流の弁天島は昔の桂川渓谷の残る唯一の処である。

昭和二十七年此処に観光を目的に発起人始め部落民の全面協力を得て部落共有林を売却し吊橋が完成した。

橋番を置き三十余年多くのハイカーと町民の協力を戴き有料橋で維持し今日に至るも軽量鋼材使用の為老化が進み管理に心痛苦慮した代表者が県に配慮を願っていた。

これが時代の恵み『新神奈川計画地方の時代』で認められダム建設地に例を見ない有料橋を無償県移管が出来た。

江戸の頃より部落民に維持されて着た原下の渡船もダムの為きえさり四十年が過ぎた。

今それに代わり待望の贈物公共の吊橋が出現数多くの方々に長い歳月旧弁天橋を愛し利用戴くこと深く感謝すると共に新吊橋の安全と渡橋者の幸運を祈念。

昭和六十一年四月吉日 旧弁天橋代表

旧弁天橋記念史 旧弁天橋掛替記より引用

 

橋の袂に弁天橋の架け替えについての石碑が安置されている。

碑文よると現代の弁天橋が2代目だという事がわかる。

1代目弁天橋は相模ダムの竣工から5年後の1952年(昭和27)に架橋された。

管理人を置き渡橋料を取っていたとあるが、いくらほど徴収していたのか気になる所だ。

Twitterのフォロワーさんの情報によると、通行料は100円で、小原地区と奥畑地区の住民は無料だったとのこと。

 

弁天橋

弁天橋の由来となっている弁天堂が袂の丘に鎮座する。

本尊は宇賀神と弁才天が習合した宇賀弁財天で、秘仏として橋から400m程離れた善勝寺の本堂に安置されている。残念ながら一般公開はされていない。

この本尊には『村から持ち出そうとすると急に重くなり運べなくなる。これによって2度の盗難を免れた。』という伝説が残されている。

 

弁天橋

弁天橋北側袂には謎の廃墟があった。

新しい薪があるので、全くの無人という訳ではなさそうだが…。

奥の建物は廃屋にしか見えない。

 

弁天橋

売店や飯屋、もしくはキャンプ場関連の施設だったのであろうか?

全くの憶測であるけれども、弁天橋の管理人の住まいだったりするのかもしれない。

当時の様子をご存知の方がいらっしゃれば是非ご教授願いたい。

弁天橋の傍の小屋はジュース売り場で、その前にはニジマスの釣り堀があった。
丸坊主の方が住んでいて弁天様を守る生臭坊主と言われていたそうである。
放し飼いにしていた鶏をその場で絞めてバーベキューをすることもあったらしい。
これもTwitterのフォロワーさんから頂いた情報である。
いちのまる
いちのまる

貴重な情報を本当にありがとうございます!

終わりに

弁天橋

心霊スポットだと紹介される理由についてだが、弁天橋に直接的な原因は無さそうである。

オカルト系のサイトを拝見すると『相模ダムを建設した際の殉職者が関連しているのではないか?』と云う説が多く見受けられる。

これについては以下の記事で詳細を述べているので気になる方はご覧頂ければと思う。

ひと気の少ない古めかしい橋と廃墟の何となく不気味なイメージによって心霊スポットなどという不名誉な噂が流されてしまったのかもしれない。

私には幽霊が見えないので、そう当て推量するしかないのである。

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