相模湖の西湖畔、日連地区。
厳重ではあるが無理矢理こじ開けられたバリケードが寂しく構えている。
この先にジェイソン村と呼ばれる廃墟群があるらしい。
呼び名から察していただけるだろうが、大量殺人事件の現場だと噂されている。
もちろん真実ではない。
何人殺めれば大量なのか分からないけれども、同箇所で多数を巻き込む殺傷事件が発生していれば、間違いなくそれは記録に残っていて調べれば容易に探し出す事が出来るはずだ。
極端な例だが岡山県の津山事件の様に。
一体この廃墟群の正体は何なのか?
住居跡やキャンプ場など様々言われているようだが、どうやらシルクという名称のモーテルだったそうだ。
モーテルとは自動車運転者のためのホテルの事。日本ではラブホテルのイメージが強いのではないだろうか。誰とも顔を合わさずに利用できるためお忍びに適している。その性質故、犯罪の温床となるケースもある。
過去の空中写真から当地の様子を眺められるので古い順に見ていこう。
ジェイソン村の昔
出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1948/09/03(昭23)撮影)
太平洋戦争から3年後の様子。相模ダムの竣工は1947年(昭和22)。
いつ貯水が始まったのか知らないが、ダム建設によって住民の生活がガラッと変わった時期だろう。
当時のこの辺りは田畑が広がっていたようだ。
出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1968/05/09(昭43)撮影)
1968年(昭和43)、この時点ではまだ建物は存在しない。
まだ田畑が広がっている。
出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1974/12/20(昭49)撮影)
それから6年後。建物が建った。田畑はすっかり無くなってしまった。
所有者が土地を売却したのだろうか?或いは新しい事業を始めたのかもしれない。
出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1993/10/26(平5)撮影)
ちょっと不明瞭だが、まだ建物へ続く道が見える…、気がする。
ただ、1974年(昭49)と比べると開けた感じは無くなった。
この頃には既に廃墟だったのかもしれない。
出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(2005/10/23(平17)撮影)
ジェイソン村は自然に帰ってしまった。ぽつんと廃墟の屋根が見える。
恐らく、というかほぼ間違いなくここは立入禁止である。
知らずに入ってしまった場合を除いて、私は立入禁止エリアに入らないよう心掛けている。
私自身が侵入しないだけで他人は好きにすればいいと思っているし、なんならTwitterなどのSNSで廃墟探索者のアカウントをフォローして好んで廃墟画像を眺めていたりする。
という訳で、残念ながらこの記事に廃墟の写真は無い。
Youtubeでジェイソン村の動画をあげている方が数名いるようなので、気になる方は検索どうぞ。
終わりに
ジェイソン村の北側に相模ダム建設によって水没した勝瀬村に関する石碑が安置されていた。
ダムに沈む前の様子が分かる空中写真も存在するので、せっかくだからこれも画像引用しよう。
出典:国土地理院/空中写真を切取・編集引用(1942/11/06(昭17)撮影)
赤丸がダムに沈まなかった部分(おおよそ)。当然だが現在とは全く景色が異なる。
現在ジェイソン村がある場所と相模川に挟まれている平地が勝瀬村か?
建物の判別は付かないけれど、これだけ広大な農地があったのだから人口もそれなりだったのだろう。
相模湖の記事でも勝瀬村について触れているので、気になる方は読んで頂きたい。
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